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くき漬け
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サトイモの一種であるヤツガシラの茎を塩と赤シソで漬けた漬物で、海山では夏の暑さを乗り切るのに不可欠な「ご飯の友」です。さっぱりした味とシャキシャキした食感♪目に鮮やかで元気が出そうなシソの赤い色♪これにカツオを茹でて燻した生節と新ショウガを合わせ、醤油をタラ〜リとまわしかけて熱々ご飯と一緒に食べます。サラサラお茶漬けや冷めても美味しいおにぎりなど、ご飯との相性がバツグンです。昔は各家庭で作られてきた「郷土の味」ですが、ヤツガシラの栽培も漬け込みも手間がかかり、生産者の高齢化と後継者不足から生産量が限られているので、他所ではなかなか手に入らない「レアなご当地もの」と言えるでしょう。決して「ごちそう」ではありませんが、結婚や就職を機に遠く離れて久しい人たちにも忘れがたい味で、夏になると故郷に「送って!」と電話やメールをしてしまう「ソウルフード」なのです。 |
くき漬けの主な材料となるヤツガシラはサトイモの一種ですが、このサトイモ類は栽培に大量の水と栄養分を必要とします。特に水については、一度でも切らしてしまうと、確実に成長や収穫量に悪影響を及ぼすと言われています。全国でも有数の降雨量を誇る東紀州は、栽培地として最適だと言えるでしょう。便ノ山で特にくき漬けが盛んに作られてきたのは銚子川のおかげではないでしょうか。大台ケ原を源とする銚子川のきれいな水と、農家の皆さんが施すたっぷりの栄養と愛情が、いいヤツガシラを育ててくれるのです。そして、さらに手間と愛情をかけて漬け込まれ、おいしいくき漬けができあがるのです。 |
くき漬けの記録として古いものに、江戸時代の古文書「尾鷲組大庄屋文書」があります。江戸幕府の役人たちを尾鷲組がもてなしたときの献立表が残っており、ここに「香の物」として「くき」と記録されています。「えらいさん」ではなく「下々」の足軽やそれより下の身分の皆さんが食べたようです。その時代も「家庭の味」であったのでしょうね。 |
海山の便ノ山集落には「ごんべが種まきゃ〜♪カラスがほぜくる〜♪」の歌で有名な種まき権兵衛さんが暮らしていました。実は鉄砲の名人で、田畑を荒らすイノシシなどを仕留めて活躍するかたわら、苦手だった畑作業にも精を出していました。歌のとおり、種をまくとカラスに食べてられいたようですが、カラスを退治するのではなく、慈悲の心で限りある種をカラスと分け合うように、食べられた分をまき・・・を繰り返して村一番の収穫量を誇るほどになったとか。そんな種まき権兵衛さんの民話が残る便ノ山で作られていたくき漬け。権兵衛さんも食べた?作った?かもしれませんね。 |
この地域の夏には「なくてはならない」くき漬けですが、地域の高齢化が急速に進んでおり、くき漬けを作ることができる人が年々減っています。くき漬けの発祥の地・中心の地とされている便ノ山でも作っているのは数名のみで、その人たちも自分の家族が食べる分と、近所の人や親戚などから頼まれる分を作るのが精一杯という状態です。ヤツガシラの栽培も漬け込みも手間がかかり、残念ながら後継者も育っていません。私たちふるさと企画舎では、このままでは便ノ山のくき漬けがなくなってしまうのではないか?と危機感を覚え、この伝統食をこの地で後世に残したい!と考え、くき漬け作りに挑戦することを決心しました。畑作業の知識も経験もない我々のこの無謀な?挑戦に、地域の方々は暖かいご理解とご協力を寄せてくれました。畑作業やくき漬け作りの体験をさせてもらう中で、いろいろな事を教えてくれました。また皆さんのご協力で、銚子川のほとり、種まき権兵衛の里近くに畑を借りることができました。この畑は、権兵衛さんの菩提寺である宝泉寺の檀家さんたちが所有する土地です。私たちはこの土地をたくさんの人と開墾し、『ごんべぇ畑』と名づけました。権兵衛さんが自然や生き物と共存しながら畑作業に精を出したように、権兵衛さんの生き方・教えに学び、地域の方々に支えてもらいながら、くき漬けの伝承に取り組んでいきたいと思います。この『ごんべぇ畑』を中心にしたくき漬け作りについては、ふるさと企画舎ブログ「海山にこいま」の中の「くき漬け大作戦」で詳しく紹介していきます。 |
1.皮をむき、細かくきざむ。
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ヤツガシラの茎・赤シソ・酢(梅酢)・塩で作られるくき漬け。 |