板金 「 タツノオトシゴ 」       
 
   
ガスコンロの天板を切り抜いて作成  切り抜いたタツノオトシゴに塗装 タツノオトシゴを切り抜いたガスコンロの天板
  古いガスコンロを廃棄することになったが、天板はまだ美しく何とか利用できないかと考えて製作したモノである。
 昭和時代の人間は、モノの大切さを身に沁みて感じているのでつい何とかしたくなってしまう。
  普通のトタン板より厚みがあり丈夫なので少したたき込んで作ってみた。
  中心にはステンレスの棒もはめ込み、凹部は接着剤によって膨らみをもたしている。
 何とか『タツノオトシゴ』(ハナタツ)らしくできたのではないかと思う。

 戯言
  先日、科学の祭典で実験工作のようなものに取り組んだが、最近の子供達は随分変わってきたように感じた。
 昔の子供達が驚いたり不思議に思ったり疑問を持ったりしたことにも反応が見られない。
  実験観察や工作などでも殆ど質問もなく当たり前のような受け止め方である。
  昔は身近に見られるものでもわかりやすいしくみが多く、説明を聞きたくなり、聞けば理解できるものが多かったと思う。
 しかし、現在は子供達のレベルでは勿論、大人でも理解しにくいものが多く出回っている。
  だからあきらめなのか?  残念である。
  科学への関心、意欲は 疑問を持つことから始まると考える。   不思議→疑問→考察、調査研究、学習
 科学に限らず、一般社会問題についても関心が薄れているのではないだろうか?
  国際情勢も厳しくなってきているようだし、原子力の問題も懸念されているが、様々な情報にも疑問を持ったり、関心を持つことは重要であると思う。
 そして国際的な視野で判断できる力も欲しいものである。 
  民主主義の世の中だからこそ一人一人の考え方が重要になると思う。
 大衆に迎合していくような体制になれば戦前の社会情勢のような道へ進むのではないかと憂慮される。

  タツノオトシゴについても魚体の各部がどのようになっているのか、他の魚たちと変わっていることに不思議さを感じ、疑問を持って欲しいものである。