金属加工 「 文 鎮 」   S.37 中学校2年生教材    
                                             
 ずいぶん昔になるが、昭和37年桂城中学校で技術科の指導をしていた頃の写真(一部)が出てきたのでとりあげてみた。
あの頃は生徒数も多く、2年生は94名だったが、時間割では技術科男子53名、家庭科41名2クラスに分かれていた。   
この教材に取り組んだ男子は53名だったが狭い技術科教室で本当に真剣にとり組んでくれたことを想い出す。
写真は一部しか残っていなかったので残念だが、皆、素晴らしい作品であった。
知的理解力や技能的能力には差異があるが、学習指導要領の範囲であれば十分指導できる時間もあった。
習熟度別に選別することもなく、玉石混交の集団の中で培われ、育まれていく公教育の姿があった。
発展的創造的な考えをもってくる生徒もいたし、自分の力で完成した喜びを伝えに来る生徒もいた。
学級集団の中で他を蹴落とすような考えがあれば、排除されるよい意味の競争がった。
あの頃は、本当に佳き時代であったと思う。
 学習過程
    構想        図示して考える。
    設計、製図    製図板、T定規、製図器などを使っていた。 
    素材の切断    鉄工所から取り寄せた鉄丸棒(本体部用とつまみ用)を切断 
    ヤスリがけ    バイスと中目のヤスリだけ
    旋盤加工     つまみ部分の加工、ルーレット加工
    つまみ取り付け ボール盤、タップとダイスを使いねじ切り 組み立て
    表面研磨     砥石などを使って鏡のようにすごい仕上げをしていた。
    表面加工     酸化皮膜による防錆加工
 想い出
 学習指導要領では旋盤加工がとりあげられていたが、学校では旋盤購入の予算が無かった。
旋削は何とか体験させてやりたいと思い、木工旋盤の図面を書いて尾鷲市、海山町のいくつかの鉄工所に製作できないか相談に行った覚えがある。   しかし、どこも予算内ではだめであった。  しばらくして町内鉄工所の世古さんという方から大阪で古い旋盤がやすく購入できるかもしれないとの連絡があり、学校長と相談の上購入して貰うことにした。
大阪からトラックで運ばれたが、動力源のモーターが3相交流で学校は単相交流100vしか来ていないのでモーター部を取り替えて技術科教室に設置してもらった。  バイトはたぶん2本ぐらいしかなかったかと思う。  
それでもこの教材のつまみ部分を旋削加工する過程について皆が体験(旋削とルーレット加工)することができた。
鉄を回転させながら削る体験は初めてなので皆感動的に喜んでいたことを想い出す。
世古さんにも大変お世話になり今でも深く感謝いたしております。
53名の生徒達がまじめに取り組む姿は今でも想い出す。
実習中、怪我する生徒も全く無く真剣な学習だったが、教科指導の中で生徒の心も培われていったように思う。
この当時の中学生もすでに定年退職の時期を迎え、団塊の世代と言われている。
戯言(たわごと)
道徳教育が取り沙汰されているが、徳目主義に陥りやすい特設時間を設定するよりも各教科指導の中で取り組むべきではないだろうか。 
教科指導の中での心の教育が必要であり、そこで真の心が培われ育まれるものと考えられる。 
ペーパーテストで評価される学力だけでは、人間教育にはならないと思う。 記憶力だったらPCの方が優れている。
工場で生産される製品のように規格によって選別されたり、差別されるのも問題があるのではないだろうか。
学習指導要領の範疇内でさまざまな人格が切磋琢磨し許容量のある学習こそが公教育の姿ではなかろうか。
 理科教育、数学教育、音楽教育、美術教育、国語教育、体育教育など