「 母者人2  
 
          
      木彫『 母者人2 』      

   亡き母を懐かしく想い出しながら彫ってみました。
   母は十七歳で結婚し九州の田舎からモスクワへと大変だったと思われます。
   九州ではその当時、皆着物を着ている生活でしたから洋服の着方から学び大変だっただろうと思います。  
   洋服の名前、着方などノートにとってありました。 
   大使館では会合や式によって服装が替わるのでかなりの量です。
   生前にはそんな話ししたこともありませんでしたが、母の苦労が今察せられます。
   親孝行もしていませんが母は島勝へも何度も来てくれました。
   母が伊豆の友達のところへ行ったときに貰ってきた八丈島産の『アシタバ』は庭中に生え毎日ジュースにして愛    飲しています。
   亡くなる前に正義、さだゑ宛の礼の文書と銀貨が用意され葬儀後に頂きました。
   生前に話しておきたかったことが一杯あります、