「 はくちょう座 」  北十字
冬の西空に沈みかける「はくちょう座」は、まさに十字架である。
今年は、共生と和親を祈念して仰ぎ観ている。

北の十字架に呼応するかのように、「こと座」が近づき、
天空のリズムを奏でているようである。
    

 
  はくちょう座は、夏の夜空を代表する星座で七夕の彦星(アルタイル)と織姫星(ベガ)の間を流れる天の川に大きく翼を広げて飛んでいる姿が見られる。  白鳥はゼウスの化身と言われているが、ほとんど1年中その姿が見られる。 季節によって感じ方が変わってくるのもこの星座の不思議なところである。  夏には「夏の大三角」(デネブ、アルタイル、ベガ)の一つとしてはくちょう座の「デネブ」が注目されている。  デネブは、1500光年のところにある白色の超巨星である。
 今回は、ヨーロッパなどでよく言われている「北十字」としてはくちょう座を取り上げてみることにした。
「南十字」(サザンクロス)に対する「北十字」であるが、特に冬の季節になると西の空に十字架としての姿を見せてくれる。
頂点には「デネブ」がベツレヘムの星の如く輝き、直ぐ近くにはこと座のベガが強い光を放っている。
 くちばしに当たるところには「アルビレオ」が輝いているがこれは二重星で双眼鏡でも確認できる最も美しい二重星である。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では、アルビレオの観測所として登場している。  二つの星は黄色(トッパーズ)の3.2等星と小さい碧色(サファイア)に見える5.4等星の星である。  ここでは風速計ではなく水の流れをはかる流速計である。
 
 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、天の川の真ん中に黒い大きな建物が4棟ばかり建って、その一つの平屋根の上に、目も覚めるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとほった球が、輪になって静かにくるくると回っていました。黄色いのがだんだん向こうへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑色の両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、たうたう青いのは、すっかりトッパーズの正面に来ましたので、緑の中心と黄色のあかるい輪とができました。 それがだんだん横にそれて、前のレンズの形を逆に繰り返し、たうたうすっとはなれて、サファイアは向こうへめぐり、黄色いのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。 銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っているように、しずかによこたわったのです。  これが水の速さを測る機械である。

 この二重星は引力で結合するのではなく見かけ上の二重星である。

 白鳥の首筋あたりにあるCygXー1は8000光年の彼方にあるが、伴星から強いX線が放たれておりブラックホールの有力な候補と言われている。
伴星を直接観ることはできないが、正体は1立方センチメートルが数億トンと言われ、数千万℃に達しているだろうとも考えられているすごい世界である。

宮沢賢治は、自然観察の中で天文に関するものも多くみられるが、「銀河鉄道の夜」は特に宇宙と日常生活と関連づけて考察を進めているように思われる。   第一次稿から第四次稿まで十年の歳月をかけて改稿されているが、自分の人生体験から削除していった部分もみられるようである。
 第1章の「午後の授業」では銀河系についての考察がわかりやすく説明されている。
 銀河についての説明では星の密集であることが説明され、天の川の水と言うことで物質の説明がある。

「もしもこの天の川が本当に川だと考えるなら一つ一つの小さな星はみんなその川の砂や砂利の粒・・・・・・・・・・・・・・
 またこれを巨大な乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。  つまりその星はみな乳の中にまるで細かく浮かんでいる脂油の球にもあたるのです。  ・・・・・・・・・・・・・・・・太陽や地球もやっぱりその中に浮かんでいるのです。  ・・・・・・・・・
つまり私どもも天の川の水の中にに住んでいるわけです。 」

銀河系の説明では、中にたくさん光る粒の入った大きな凸レンズを使ったようですが、あの当時の考え方としてみごとだと思います。

南半球、オーストラリヤあたりまで行くと銀河鉄道のスタートの「はくちょう座」から終点の「南十字」(サザンクロス)まで全景が観られるそうです。

北十字から天の川の道を南十字まで旅することは、なんとなく人の世に通ずるような気がする。
二つの十字架 生から死への道筋 明るく輝く道、暗黒の暗い空間、道  我々の暮らしの中で辿る喜怒哀楽、愛と悲しみなどにも通じるものではないだろうか。  宇宙空間の中では、地球もごく微細な一点に過ぎず、人類の存在も一瞬の出来事に過ぎないが、これから約50億年(太陽系の寿命)いかなる形で生命体の生態が辿るのか、未知である。    我々人類が地球で生きるためには、すべての生命体との共生と和親が必要ではないだろうか。    西の夜空にかかる北十字を眺めながらふとそんなことを考えてみた。