「 カサゴ 」を彫る
当地方の磯ではもっとも馴染み深い「カサゴ」である。
2009年11月にも木彫でNo.113「求道者M」を取り上げているが、今回は木彫でカサゴに挑んでみた。
磯釣りに行けばよく釣れる魚で、食い込み、引きも強く豪快に釣り上げることができる。
大量に漁獲されることはないらしく市場やスーパーなどでもそれほど多く見かける魚ではない。
しかし、高級魚並みの美味しさがある。
モデルは、すぐ近くの磯で釣ったものだが、以前に使っていたケヤキ材が少し残っていたのでそれを使って彫ってみた。
丸太材を切り、ノミや彫刻刀で彫ったものだが、魚の木彫は初めてなのでで試行錯誤しながら彫っていった。
材質上、鰭などの薄い部分は、忠実には彫れないが、何とかカサゴらしき姿が出せたのではないかと思っている。
平成23年の紀北町海山公民館で開かれた文化展にも出品したものである。
戯言
素材は欅であるが、自宅の庭に育っていたもので最も大きい木だった。
しかし、大きくなりすぎたので庭師に剪定をしてもらったところ、突然立ち枯れてしまった。
多分夏の暑い時期に枝葉を切りすぎた結果であると考えられる。
しばらくして切り倒したが、そのまま廃棄する気にはなれず置いてあった。 そこで何かに使えないかと考えて木彫に挑んだものである。
現在、この木彫「カサゴ」は玄関に置いてあるが、自分には何故か素材が元気に庭にそびえていた頃を彷彿とさせるものがある。
生命体には形姿だけではなく、もう一つ心(木の精?)のようなものが作用しているように思えてならない。
以前、亡くなった母に見守られているような自分を書いたことがあるが、形姿が無くなった母が今でも何か繋がっているような気がする。
また、今まで生きてきた中でお世話になった先輩方や同僚、教え子などで亡くなられた方もあるが、ふと想い出して繋がりを感じることがある。
きっと形姿ではない何か心のような作用が働いているのかもしれない。
「般若心経」は短文でも実に見事に道を説いているが、自然界のすべてのものは変化しても無くならないことも説いている。
まさに物理学で言う「質量保存(物質不滅)の法則」「エネルギー保存の法則」に照らしても矛盾はない。
姿形が見えなくなっても存在は消えていかない。 喩えはよくないが放射線もまさにその通りである。
神仏を信仰している者ではないが、神仏の存在は信じたい自分である。
81歳、老人の戯言