「 木彫 2 」
「木彫2」 制作中 (高野槇)
すいぶん昔になるが、生徒指導でたいへん苦しい経験したことがある。
その時、生徒指導研究会が高野山で開かれたので、お寺(奥の院)に合宿して研究会に参加した。
全国各地から中高の先生が参加し、なぜか東京都の議員さんも来ていた。
皆、苦しい実態など話し合い、解決策と言うよりも苦しみをはき出していた。
対策は自分自身で取り組まなければどうしようもないことも悟った。 いかなる高度な教育理念や著名な大学の先生が指導されても目の前の問題解決にはつながらないし、やってもらうこともできないのである。 生徒指導が困難な中学校で講師として指導実践されている大学教授も報告されていたがかなり困難な様子だった。
しかし、高野山で研究会に参加したことは大いに役立ち貴重な経験と苦しみを広い視野の中でとらえることが出来たことを遠く思い出している。
休憩時に寺の庭を歩いていたら寺の大工さんが仕事をしていたので話しかけたら大変親切な方で高野山のいろいろな話を聞かせてくれた。 その時も寺の屋根の上に載せる防火用の水槽(タンク)を作っていた。 高野山では、供花に「高野槇」(コウヤマキ)がよく使われていたが、昔から防火用の水槽にもこの「高野槇」が使われていたそうだ。
「高野槇」は水に大変強く、変化しにくいので水を使うものを作るのには最適らしい。
近くにはたくさんの高山槇材が積まれていたが、小さな高野槇の板切れを頂いたので記念に持ち帰った。
持ち帰ってから何か記念に彫ろうと思ったがその時は時間が無く途中でほってあった。
10x18x2cm位の板で柾目でもないのに数十年経過しても全くそりが出ないことには驚いている。
最近、これをジャンクボックスで見つけ出したので取り出して少し手を加えてみた。
木彫と言えるものでもないが、昔々を思い出しながら時間をつぶしている。
2006年9月6日誕生された皇室の悠仁親王の印も「高野槇」に決まったようですね。