「キブシの灯芯を灯す」
天ぷら油の廃油を使って灯してみた。
下の写真は、キブシから芯を抜き取る状態を示している。
細い棒を差し込めば簡単できれいに芯を抜き取ることができる。
ここではステンレス棒を使った。
スポンと抜けるのでおもちゃの空気鉄砲や吹き矢を作ることもできる。
キブシの茎から芯を抜き取った物。
生でも乾燥した状態でも簡単に抜き取ることができた。
戯言(たわごと)
油を灯すための灯芯ならば、布切れやティッシュペーパーがよく使われるが敢えて昔懐かしい灯火を再現してみた。
灯をじっと見つめるとなぜか電灯にはない光から甦ってくるものを感じることができる。
世の中は欲望を満たすために便利になり効率化が進められてきたが、地球上の生命体として生きていることを考えるともっと様々な道理を理解した上で生きていくことも大切ではないだろうか。 現在の暮らしの中では見えなくなってしまったものや分からなくなってしまったものが大変多いと思う。
便利な結果だけを利用して生きている感じでだ。 スイッチ一つで自動化され考えなくても処理されていく。
たとえば身近な物では、
ご飯が炊きあがるまで・・・・・ハガマで炊いていた時代は、火お越しや炊きあがるまでよく観なければならなかった。
木を削る ・・・・・・・・・・・・・・電動工具と異なりカンナの刃で削るようすが見えた。
ラジオ、テレビ・・・・・・・・・・・調整が必要であった。
電子機器回路・・・・・・・・・・抵抗、コンデンサー、コイル、真空管などが見えていて理解しやすかった。
食品加工・・・・・・・・・・・・・・機械化、自動化されず、その過程がよく見えていた。
このようにいくつでも取り上げることができるが、子供たちのためには大切なものが抜け落ちていくように思えてならない。
特に科学的に物事を考えるためには、好奇心をもち、疑問をもつことからスタートしなければならないが、疑問をもたなくても生活ができるし、考える必要がないようになってしまったように思う。 レオナルドダヴィンチが雨がどこから降ってくるのだろうと疑問を持ちアルプスの山に登ったような心境も大事だと思う。
理科の教科書でも小学生では理解できないような太陽電池などが興味本位で取り上げられているが学習の発達段階を考えた教材の出会いも大切だと考える。
かなり大げさな変化がなければ驚きを示さなくなってしまったのではないだろうか。 同じ理科の実験であっても数十年前には皆が不思議さに驚き、疑問をもち反応した事でもあまり反応を示さなくなってしまっているのが現状のように思う。
身近な自然環境や暮らしの中でも不思議さを見つけ、疑問、関心がもてるような心を育みたいものである。