ヨーロッパ82


【日 時】1982年8月
【期 間】?日
【地 域】ヨーロッパ
【ルート】 成田→ロンドン(ギャトウィック空港)==ドーバー〜カリス==パリ==
リヨン==ジュネーブ==ローザンヌ==ケルン==ベルギー==カリス〜
ドーバー==ロンドン==→成田
【メンバー 】単独


【ロンドン】
ギャトウィック空港はロンドン郊外にある。レンタカーでM1という道路を通りロンドンへ向かう。市街地に近づくとクネクネした道になる。テムズを渡りウェストミンスター寺院近くのオフィシャルな駐車場に車を停め、観光に出かける。バッキンガム宮殿やソーホーなどを周って戻ってみると、車がない。近くのポリスに車がなくなった旨を伝える。駐車禁止の場所に停めていたようで、レッカー車に持っていかれたことを知る。持っていかれた場所を教えてもらい、罰金を払う。2万円近くで、いきなりのとんだ出費になる。
【ドーバー】
ロンドン観光もそこそこに大陸に渡るためドーバーを目指す。ドーバーで車中泊して朝一番のフェリーに乗り込む。フランスのカリス(ロダンの彫刻カレーの市民で有名)まで2〜3時間程度だったと思う。イギリスは日本と同じで右側通行で標識はマイル単位であるが、大陸は左側通行で表示はキロを単位とする。道路の信号・照明・標識も国により異なる。カリスから、対向車のない道路で、知らず知らず反対車線を走行し、前方に突然車が現れ肝を冷やす。パリに行く途中の街で宿泊する。

【フランス〜スイス】
パリの街中は同じ位の高さの石造りの建物が多く渓谷の底を走っているようだ。道路は石畳になっており、地元の運転も荒っぽいので神経を使う。どこを観光したのかあまり覚えがない。フランスの高速道路から国境を越えスイスに入る。標識がフランス語からドイツ語に変わる。ドイツの標識はフランスの標識に比べると格段に判りやすい。日本の標識もドイツの標識を参考にしたのではと思われる。ジュネーブ、ローザンヌ、ベルン、チューリッヒなどを通ってドイツに入る。
【ドイツ】
アオトバーンに入る。道は格段に良い。アスファルトではなくコンクリート製の道路で耐久年度は100年以上も使われることを前提に設計されていると思われる。速度無制限と聞いていたが制限標識は意外と多い。アウディー・ベンツなどがゆとりで飛ばしていく。ドイツという国は街造りや物造りの面でも耐久性などかなり高い水準を目指して設計されているものが多く、見習うべきところが多い。ケルンのカテードラルに立ち寄るが、ブンデスリーグのサッカーでもあったのであろうか、数人の若者が肩を組んで大きな声でサッカーの「オーレオレオレオレー」と応援歌を歌っていた。

【オランダ〜ベルギー】
オランダからベルギーに入る。オランダの記憶はあまりない。オランダとベルギーの国境はなにもなかった。ベルギーに入ると標識が2つの言葉で書かれる。二つの民族が共存するこの国はフラマン語とワロン語が使用されている。スイスの場合はフランス語とドイツ語などその地域で主に使用される言葉で表記されているが、ベルギーでは全て2つの言葉で表わされていた。ブラッセル、アントワープなどに立ち寄る。

【ミスブッキング】
カリスからドーバーを渡り、ロンドンに戻る。帰りの便のリコンファームをするためエージェントを訪ねる。エージェントで私の名前を告げると、「予約は入っていません」と言われる。どうしても帰らねばならないと航空券を提示すると、「心配する事はない。明日、朝早くカウンターに並びなさい」と言われる。翌日、早くから空港に行き、早々にレンタカーのチェックアウトをすませ、航空機のチェックイン前からカウンターの前に並ぶ。難無くチェックインを済ませる。後で問い合わせて判ったことだが、私の名前「ミマ」を「ミワ」という名前で旅行社がブッキングしてしまったとのことであった。


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