ヨーロッパ90

マッターホルン ブライトホルン
マッターホルン
ブライトホルン

【日 時】1990年8月
【期 間】10日
【地 域】ヨーロッパ
【ルート】 成田→パリ==リヨン==シャモニ==ジュネーブ==モンタナ==ツェルマット==
フルク峠==ロマーティックシュトラッセ==フランクフルト→成田
【メンバー 】二人


ルーブル
ルーブル
【パリ】
パリで一泊だけ宿付きのツアーである。
シャルルドゴール空港に到着するが、バスなどの利用方法が分からずタクシーで予約していたホテルに着く。地下鉄の東の端の駅が近くにあるところであった。地下鉄に乗り凱旋門・ルーブル・ノートルダム寺院などを巡る。絵画に興味のある家内にとってルーブルはどれ一つをとっても見入るものばかりであったようだ。エッフェル塔は足で登り、下りはエレベータを使った。エレベータは満員で気温38度のなかで乗り込むのに押し合いの状態になった。

翌日、凱旋門近くのハーツで、フランクフルトで乗り捨ての条件で、予約していた小ベンツを借りる。係員の応対がツッケンドンで、どうもフランスでドイツ車をかりるのは良くなかったかという思いになる。簡単な市街のルートマップを借りるにもカルテ・ド・パリとかフランス語のボキャブラリのない私は四苦八苦であった。
【パリからシャモニ】
暑く城塞のようなパリを抜け、高速道路に入りひたすらアルプスを目指す。途中、あまりの暑さの上、車の冷房が利かないので、SAの木陰で昼寝をする。少しパニック状態になり、エンジンがかからないとガソリンスタンドに応援を頼む。結果はギアがドライブの状態でエンジンを切ってしまったのであった。リヨンの川辺でヨーロッパを結ぶ高速鉄道を見かける。
花時計・ジュネーブにて
花時計・ジュネーブにて
【シャモニからジュネーブ】
シャモニ。エギュー・デ・ミディーへのロープウェーを待っていたが、山の上はストームでロープウェーは動いていなかった。我々のいる地上は晴れて暑いくらいであったが。待っていても仕方がないので、ジュネーブに向かう。20時頃であったが、駅前で宿をとることができた。翌朝、ルソー島を通って旧市街地の朝市でプラムやネーブルを買う。レマン湖に高々と上がる噴水を浴びた後、国連を巡る。
プラン・モルト山
プラン・モルト山
【モンタナ】
レマン湖沿いに高速を進む。峠を越えると顕著なU字谷のローヌ谷合いの道となる。途中、夕立に合いシオン近くで宿をとる。モンタナでリフトとロープウェーを乗り継ぎプラン・モルト山へ。山頂は広い雪原でスキーの練習をしている人がいた。乗り継ぎのヒュッテで高校生の楽団と遭遇する。明るい山腹で思いっきり音を出すのは見ている我々も気持ちが良くなる。
【ツェルマット】
国道からフィスプから右に曲がり、ツェルマットの前の街の駐車場に車を停める。車はここより先には進めない。ツェルマットに入るにはここから電車で行くしかない。駅に着き、宿を決める。いがいと簡単に見つかる。マッターホルンが望まれる部屋であった。電気自動車がトコトコと走る。ガソリン車を締め出して20年以上の歴史のある村である。夜、家内が日本に電話する。
【マッターホルン】
朝、快晴である。ロープウェーでクライネマッターホルンまであがる。昨日の夜は雪が降ったとのことで、軽い新雪状態であった。ブライトホルンが目の前に迫る。ここから見るマッターホルンはツェルマットから望む優美さとは全く異なってみえる。4000mの標高からの氷河を抱いた、モンテローザをはじめとするバリスアルプスの眺望は圧巻であった。街ではお祭りでもあろうか、赤と黒の衣装の人達を見かけた。
【フルク峠】
フルク峠は地中海と北海を分ける分水嶺。観光のためローヌ氷河をくり貫いた通路がある。峠越えをして、スイス南部のエスターライヒ(オーストリア)・ドイツと国境を接するボーデン湖からドイツに入る。ドイツに入ると気のせいか建屋が大きく感じる。
ネルドリンゲンにて
ネルドリンゲンにて
【ロマーンティックシュトラッセ】
田園の中のロマーンティックシュトラッセに入る。ブルゲンシュトラッセ(古城街道)とクロスする。ネルドリンゲン。真ん中の塔から見ると、街が完全に城壁で囲まれているのがよく判る。塔のすぐ下に宿をとる。屋根裏のような部屋に案内されたが、暗闇でのスイッチの表示など考えられた気持ちの良いホテルであった。靴下を象った大きなジョッキーでビールを飲む。街は古いがショウィンドウに並ぶ品は極めて現代的である。中世の迷路のような通りを散策するとすぐ城壁に達する。観光にきていたドイツの人に道を尋ねられ、私が、添乗員のように応えていたという。私はあまり記憶にないのだが、家内はこのことを思い出しよく笑う。翌日、ローテンブルグなどを廻る。こじんまりしたネルドリンゲンに比較すると大きな街で観光客も多い。
【フランクフルト】
アオトバーンを走らせ夕方、フランクフルトに着く。川の近くの宿に泊まる。東西ドイツが統合された後で、本屋の店頭にあった東西ドイツ地図が印象的であった。

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