カナダ・アメリカ93

ナイアガラ・カナダ滝
ナイアガラ・カナダ滝

【日 時】1993年8月
【期 間】10日
【地 域】ヨーロッパ
【ルート】 成田→シカゴ→トロント==ナイアガラ==ゲティスバーグ==ワシントン==
ニューヨーク==プリマス==フランクフルト==ボストン==
ナイアガラ==トロント→シカゴ→成田
【メンバー 】二人


CNタワー
CNタワー
【トロント】
シカゴのオヘイア空港から2時間ほどでトロントの空港に着く。出国手続きやレンタカーの手続きをしていたら暗くなってしまった。フリーウェーを走らせトロントの市街近くのホテルで宿を取る。
翌日、市内観光後、CNタワーに登る。”THE TALLEST TOWER IN THE WORLD"。553.33M の高さを誇る。真下を見ると空洞であった。思わず足がすくんでしまった。
野猿
野猿??
【ナイアガラ】
ナイアガラの滝まで移動。
滝を巡る船に乗り込む。アメリカ滝を過ぎカナダ滝に近づくと猛烈なしぶきが飛んでくる。用意された合羽を着ていても顔は水びたしになる。続いて滝の裏側への隋道に挑戦する。大量の水が勢いよく落ちている以外は何も見えない。川下に下り対岸からロープを張った野猿??に乗り込む。川底からの高さはどれくらいあるのか。夜になるとタワーからライトアップされた滝が望まれる。
早朝、橋を渡り国境を越え、アメリカ滝を見物する。ひたすらワシントンを目指して走る。途中、激しい雨があったと家内は言っているが、私にはその記憶はない。
ゲティスバーグ戦場跡
ゲティスバーグ戦場跡
【ゲティスバーグ】
ゲティスバーグで一泊する。
ゲティスバーグの戦いは1863年、南北戦争中最大の激戦地。リンカーン演説で有名な地である。
the goverment of the people
by the people
for the people
リンカーンの造像が街のいたるところにある。朝、戦場跡を巡る。霧が発生し、往時を偲ぶものとなった。パンフレットによると戦いは3日間、続いた。
ホワイトハウス
ホワイトハウス
【ワシントン】
ワシントン ポトマック川の辺に駐車。リンカーン記念堂、ワシントン独立記念塔を通り、ホワイトハウスを巡る。ハウス見学はやめてモールを歩く。自然史博物館、美術館、航空宇宙博物館などなどを巡る。歴史博物館で家内は独立宣言のコピーを買っていた。ジェファーソン記念館を巡ってポトマック川の車のところで一服する。ケネディーが葬られているアーリントン墓地を廻ろうとしたが入口が判らず。
ニューヨーク
スタッテン島からニューヨークへ
【ニューヨーク】
スタッテン島に車を駐車しフェリーでニューヨークに入る。左手のリバティーアイランドに改修中の自由の女神が望まれる。地下鉄で北上し国連本部まで歩く。国連ツアーに参加。いきなり広島の被爆した石やゲタを紹介される。総会会議場・常任委員会会場などの施設を案内される。現在の植民地の説明を聞く。メトロポリタン美術館をまわる。セントラルパークではブロードウェイの関係者であろうか大きな声を出し芝居の稽古に余念がない。世界貿易センターに行く。入口では、爆破騒ぎがあった後で、持ち物検査など警備が物々しい。家内はカナダに帰っているはずの知人に電話するが、掛からず。見物後、スタッテン島に帰り、北を目指すが、スタッテン島からの分岐が上下になっていた。通常、平面的な分岐を考えるがここでは立体的な分岐であった。
メイフラワー2世号
メイフラワー2世号
【プリマス】
コロンブスの新大陸発見後、1620年、102名清教徒達(プリグリムファーザーズ)はメイフラワー号に乗ってヨーロッパから太平洋を渡ってこのプリマスに着いた。アメリカの歴史を語る時、一番最初に紹介される一節である。現在ここに展示されているメイフラワー2世号は1957年イギリスで同じ大きさで復元され、実際に大西洋を渡ってきた。長さ約35m幅8mで66日間の航海であった。
茶会場
茶会場
【ボストン】
茶会事件とは、当時紅茶の交易で富を得ていたヨーロッパの船から、当地の人が紅茶を海に投げ込んでしまった。このことが、アメリカ独立運動のきっかけとなる。ボストンの港には、茶会事件の当時、使用されたビーバー号が係留されている。ビーバー号は改良されたスピードのある帆船で交易に大活躍した。お土産に紅茶を買う。MIT見学はやめる。
【帰路】
有料道路で900KMの道をたっぷり1日かけてナイアガラの滝に着く。トロントから帰路の便に乗り込む。

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