桧塚奥峰

桧塚奥峰
桧塚奥峰

【日 時】2000年 7月 1日(土)
【天 候】晴れ後雨
【山 名】桧塚奥峰(1420m)
【山 域】三重
【ルート】 (10:40)麦谷林道登山口--(11:00)木の実や塚--
(11:50)薊岳--(13:40)明神岳--(14:40)桧塚奥峰--
(15:30)明神岳--(16:50)薊岳--(17:15)木の実や塚
(18:15)麦谷林道登山口
【所要時間】7時間35分
【メンバー 】ニ人




家内は一ヶ月ぶりの登山である。靴も一ヶ月ほど前に買ったばかりで、前夜から意気込んでいた。天気予報では、南が良さそうとのことで、山渓の「三重の山」で最後の山となった「桧塚奥峰」とする。登山コースは家内が久しぶりの登山ということで大又林道終点から明神平の楽なルートにする。

7時に家を出発する。名阪を針で降り榛原/菟田野/東吉野といつものコースで順調に大又林道に入る。林道は途中で通行禁止になっておりヘリコプターで荷物の運搬作業をしていた。作業者に道の様子を聞いたが問題はなさそうだったので、車を駐車して林道を進む。林道終点からはキャタピラー車が数珠繋ぎで道路の改修作業をしていた。登山者が通過すると、その都度作業を中断しなければならないため、通行してはいけないと通告される。「通行禁止」のハッキリとした標識はなかったので、釈然とはしなかったが、通行すると作業者に迷惑がかかることは自明であった。

当初の予定を変更しなければならない。伊勢辻山に向かうか迷ったが当初の予定通り薊岳経由で桧塚奥峰を目指すことにした。麦谷林道に入りウネウネとしたカーブで高度を稼ぎ、稜線近くなったところで、家内がカモシカを発見した。カモシカは一緒に3頭いた。カモシカは単独で行動する場合が多く、この様に3頭一緒にいることは珍しい。車を降りてカメラに収めようとしたが、すぐに逃げ去ってしまった。稜線に出た所が薊岳への登山道となっていた。

木の実や塚〜薊岳 薊岳
木の実や塚〜薊岳
薊岳
身支度を整え出発する。下笹の混じる植林帯をひと登りすれば二階岳に着く。家内は久しぶりの登山と初めて使用する靴なので一服する。4人の登山者が登ってきた。彼らも大又林道からこちらへ廻てきたとのこと。植林帯から自然林に変わる。若干のアップダウンの後、やがて笹の急坂になる。松阪から来た単独行が早足で追い越していった。急坂を登り詰めたところが木の実や塚山頂であった。山頂では松阪の人と薊岳から来た人が食事をしながら談笑していた。私達は小休憩後出発。

一旦大きく下り、また一気の登りとなる。帰路が大変である。木の間から薊岳が望まれ暫く進むと山頂直下の岩の混じる急登となる。薊岳は今年2度目の登頂となった。眺望は良いが開けた山頂は陽射しが強かった。

一旦下り平坦な尾根道となる。ブナなどの自然林が林立する山道となり、落ち葉を踏みしめながら進む。急坂を登り詰めると明神平が広がる前山へ到着する。ここは分岐点となり、先行していた松阪の人が間違えて明神平へ降り始めていた。明神平には日本シカが2頭いたがすぐに姿を消した。

レンゲツツジ 桧塚奥峰下
レンゲツツジ
桧塚奥峰下
三ツ塚分岐を越えたあたりで、鮮やかなレンゲツツジを見かけた。ひと登りした所が明神岳であった。林の中で標識がなければ何の変哲もないピークであった。雷がなり始め雨がポツポツ降り出した。同行していた松阪の人はここで引き返した。

一旦下り平坦な道となる。道にはココ彼処にシカの足跡があった。小さなピークで雨が降り出し雨具を着装する。遠巻きにシカが居る様子での泣き声が近い。森林帯から草原に出てひと登りすれば、あっけなく桧塚奥峰に到着した。山頂でユックリしていたが雨が止みそうになく、桧塚まではヤメとする。雨の中で山頂の写真を撮る。

帰路は雷が轟き雨脚がさらに強くなり、道は水浸しになった。幸いにもルート上には開けたところがなく、林の中の道で落雷の心配は無かった。明神岳まではバケツをひっくり返したような猛烈な雨となりザックカバーにも水が溜まってしまう状態になった。明神岳からは小康状態となったが、明神平では風が強くまだまだ予断を許さない状態であった。ふと見ると開けた明神平の平原には、雨揚がりで人が入ってないせいか、日本シカが十数頭群れていた。

明神平 雨上がりの林
明神平
雨上がりの林
前山と薊岳の稜線で夫婦連れと出会う。薊の山頂では雷だったとのこと。雨は徐々に小止みになった。木の実や塚までの登り返しまで行けば、後は楽になると考えていたが、その先も長く感じられた。二階岳辺りでやっと木漏れ日が射してきた。ゴアの雨具だが、激しい雨で衣服もずぶ濡れ状態であった。着替えて、ヤハタ温泉でひと風呂浴びて帰路に着く。

簡単に考えていた山行であったが、少しハードなものとなった。家内は「カモシカ」や「日本シカ」との遭遇に感慨深げであった。


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