帝釈山

帝釈山
帝釈山

【日 時】2000年10月28日(土)
【天 候】晴れ
【山 名】帝釈山(2059m)
【山 域】栃木・福島
【ルート】 (6:20)猿倉登山口--(7:25)小田代--(9:10)帝釈山山頂(9:45)--
(10:50)避難小屋--(11:35)猿倉登山口
【所要時間】5時間15分
【メンバー 】単独


夜間、田代山林道から猿倉登山口を探すのに一苦労した。林道を進むと、山の稜線に出た。何回かアップダウンを繰り返すと、県境らしいところを越えてしまった。登山口は県境にあると思い込んでいたが、地図をよく確認すると、福島側に位置していた。登山口を確認し、下のトイレ設備のある大きな駐車場で仮眠する。

星の夜空は冴え、身震いするほど冷え込んだ。何度か目を覚まし、十分な睡眠は取れなかった。私の車のみであった駐車場も朝方には数台の車があった。冬支度に身支度を整え、上の登山口に移動する。

登山に向かう人は、他二組のみであった。5分程で、水場がある。谷を暫く遡行し、電光を切りながらの登りとなる。同時に出発した単独行は、暫く後を付いていたが、勢いよく追い越してくれた。昨日ほどの視界ははないが、逆光で日光や那須の連山が望まれる。谷を挟んで、なだらかな県境尾根を左に見ながらの登行となる。この辺りは紅葉は終わっている。昨日は林道走行のため、食料は調達できず、本日はシャリバテに気を付けながらの行動となる。朝日を受けながらの登りとなり、汗を掻き、上着を脱ぐ。1時間ほどで、木道の小田代に着く。

ひと登りで田代湿原に出る。風が少しあり、更に、冷たさを感じる。寒さを覚え、逆に上着を着込む。平ヶ岳・会津駒ヶ岳など、山頂部が平坦で湿原になっている山は、この辺りに多い。湿原は草紅葉に変化し、点在する地糖には氷が張っていた。平原の向こうに会津駒ヶ岳が望まれた。田代山山頂が何処はよく判らなかった。木道を進むと立派な避難小屋があった。単独行は、この手前で休んでいた。「速いですね」と声を掛ける。中には弘法大師が奉られていた。トイレもあり快適な山小屋の様子であった。
田代湿原 田代山
田代湿原
田代山
針葉樹林帯となり深山の様相となる。最初、テープが、ばらけ気味で、少し判り難い。左にトラバース気味に暫く下る。木の間から帝釈山のピラミッドが見え隠れする。帝釈山が望まれるのは、この間のみであった。道は水を含み、泥濘状態ではあったが、氷化し霜柱になっていた。これから道は乾くことなく、雪が降れば水分を保ったまま、雪解けの春を迎えるように思えた。単独行は、一人での行動には不安がある様子で、時々立ち止まってくれていたが、当方もお腹の調子がイマイチで調子は上がらない。登りの途中で一服し、食料を補給する。

気を入れ直し、ひと息で山頂に達する。山頂には単独行と桧枝岐の林道から登ってきた夫婦連れが、会話していた。桧枝岐の林道から90分の標識もある。視界はまあまあで女峰・男体山・太郎山など日光の山、燧・至仏の尾瀬の山、会津駒ヶ岳、那須の山々などが望まれた。馬坂沢は熊が出ると夫婦連れの人が話していた。

雲行きが怪しくなり、単独行と話しながら帰路に就く。埼玉県の60代の人で今年300名山の30山に登ったとのことであった。5年ほど前から登り始め、現在80山ほどになり、山に嵌っているとのことであった。秩父地方で催される42.195Kの山の大会にも参加しているとのことで、昨年の成績は9時間台であったと聞き、驚いてしまった。

途中登ってくる人も多く、この山の人気の高さを再認識する。田代山の木道で、一服する。朝の寒さはウソのように、風もなく、麗らかな日和となった。さらに人が増え、ビールで出来上がったグループもいた。田代山で引き返す人も多いようだ。家族連れも多く、幼児と思われる子供も登ってきた。身軽な二人子供が先を進み、水場で遊んでいた。
車のところに戻り、単独行と住所などを交換する。天候は下り気味の様子であった。明日の天候は期待できないので帰路に就く。林道を下りるほど、紅葉状態が進み、山全体が紅葉となる。他の人も撮影モードとなり、同様の車が道路脇に停まっていた。

七つ岳・荒海山など、この周辺の登山口を会津高原駅で確認する。観光客の集まる塩原温泉付近の紅葉は心なしか色あせて見えた。帰路、雨となり、東京の環状線で、小刻みな渋滞に嵌る。東名高速の足柄SAで風呂に入り、遠州豊田SAで仮眠をとり、なんとか帰宅する。

それにしても、三重から日光までは遠かった。


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