桧横手山

桧横手山
桧横手山

【日 時】2003年 6月22日(日)
【天 候】曇り
【山 名】桧横手山(2021m)
【山 域】山梨
【ルート】 (4:25)老平--(6:25)広河原(7:15)--(8:30)山の神--
(9:25)インクライン--(10:30)桧横手山--(12:15)最高到達点--
(12:50)水場--(14:30)インクライン--(15:20)広河原--(17:10)老平
【所要時間】12時間45分
【メンバー 】単独


笊ヶ岳は二百名山である。ルートは幾つかあるが、クラッシックルートの雨畑から入る。前日20時に老平の駐車場に停める。横浜と山梨ナンバーの車が2台停まっていた。車中泊となる。

駐車場には笊ヶ岳への案内板があり、所要時間が記入されている。朝4時に起床し、4時30分に出発する。車停めの黄色いゲートを通過する。対岸には山の上から導水管が一気に落ちている。良くならされた平坦な道を進む。30分程で林道終点に達する。多摩ナンバーの車が一台停まっている。

山道となり、少し緩やかに登ると一軒の家屋が現れる。鉄橋など手入れの行き届いた道が暫く続く。遥か下の奥沢谷の川床に降りる道を左に見送る。崖伝いに道が伸び、上から水が落ちてくるところを通過する。大きな谷に掛かる吊り橋はユラユラ揺れる。顕著な二股を右に曲がり、暫く進むと川床に出る。直ぐに対岸に渡り、川を少し遡行するが、登山道らしきものはない。引き返し、標識を確認する。川床の右(左岸)に黄ペンキを見つける。ハッキリした登山道となる。思わぬ道草となる。直ぐ、対岸に登山道の見える川床に出る。踝の上程度の水位で問題なく徒渉する。一休憩する。
奥沢谷 広河原
奥沢谷
広河原
2〜3張りほどのテン場がある。ジグザグで電光を切りながら急坂を登って行く。落ち葉が敷き詰め、足の負担は少ない。朝早く、川音に混じり蝉の声がけたたましく聞こえる。右に崩壊地が現れ、谷底が望まれる。一汗掻き、お地蔵さんが奉られた山ノ神に達する。休憩する。

急坂は続く。初めて下山者と行き交い言葉を交わす。林道終点に車を停めていた人で、「砂金取りの人が管理者に掛け合い、ゲートを開けてもらった」とのこと。左に崩壊地が現れ、対岸の山が望まれる。休憩する。

索道などに使用された機具やワイヤーが散在するインクライン跡を抜ける。トドマツの植林時期と広さなどが記述された白い案内板がある。この辺りから体調が悪くなる。

桧横手山手前で2人目の下山者と出会う。言葉を交わし体調が悪い旨を話すと、明日は休めないのかなど聞かる。シラビソの鬱蒼とした深山の様相となる。桧横手山にはテントが一張りあった。緩やかに下ったところで休憩していると軽快な足どりで男女の登山者が降りてくる。桧横手山のテントの住人のようだった。下の車の数からすると入山者は全て下山したことになる。この辺りは格好のテン場になっていた。
山ノ神 原生林
山ノ神
原生林
一気の急坂となり、倒木も混じる道となる。体力が俄然落ち、少し登っては休憩という状態になる。地図を確認すると布引山と桧横手山の中間点付近で北へ向かう尾根に乗ったところだった。布引山へは500Mもない地点だったが、一歩一歩が体力を消耗する状態となった。午後となり、帰りの体力も考え、ここで引き返すことにした。日帰りのつもりでいたが、思わぬ体力の低下を招き、ツェルトも持参せず、反省しなければならない山行となった。

広河原までは一気の下りだが、夏至に当り一日は長い。ユックリと時間を掛けて下る。水場を確認する為、少し下ってみるが、発見できなかった。下から川音が聞こえ広河原までなんとか達する。休憩する。

空模様が怪しくなり、林道に出ると雨が落ちて来た。雨具を着込み車のところに戻る。

笊ヶ岳は椹島からのコースやこのルートの一泊プランが妥当な行程だが、日帰りでもう一度このコースに挑戦したい気もある。何れにしても、再度登ることになると思うが、南アの深山をまだまだ味わって下さいというメッセージと捉えたい。

翌日は国師ヶ岳を目指したが、大弛峠への道がウィークデイは工事のため通行制限があることが現場に行って判った。帰りに身延山へ立ち寄ったが、車での登路を途中で失う。雨も降り出し、山は諦め、早目に帰路に就く。しかし、東名で事故があり、浜松から先は通行止めとなる。国道も渋滞となり、6時間掛けて帰宅となる。


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