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【日 時】 | 2003年 9月 6日(土) |
【天 候】 | 晴れ |
【山 名】 | 富士山(3776m) |
【山 域】 | 静岡・山梨 |
【ルート】 |
(5:45)新五合目--(7:00)新七合目--(7:50)七合目--(8:50)八合目-- (9:40)九合目--(10:20)九合五勺--(11:10)頂上小屋--(11:40)剣が峰(12:15)-- (13:35)七合目--(14:25)六合目--(14:45)新五合目 |
【所要時間】 | 9時間00分 |
【メンバー 】 | 4人 |
偉大なる通俗「富士山」に行くことになったのは、6月頃AS氏が言い出したのが発端だった。MZ氏の意見は7月の連休だったが、山開き後は人が多く長蛇の列となるので小屋が閉まるこの時期の敢行となった。 MZ氏を自宅で拾い、高速に乗る。東名の美合PAでAS氏,TZ氏の車と21:30合流する。牧の原SA、富士川SAで休憩を取り、富士ICで降りる。R139を右折し県道を走らせる。意外にコンビニが多い。標識に従い左折し富士スカイラインに入る。眼下に街の灯を見ながら新五合目の駐車場に到着する。登山口近くは車で溢れ、テントも幾つか張られていた。AS氏の準備してきた望遠グッズで火星観察となる。火星はイマイチだったが、天の川やスバル付近の星団は格好の観察対象となった。MZ氏は観賞もソコソコに寝床に入る。TZ車も仮眠に入る。事前に今回の登山の成否はこの睡眠にあると伝えたが、理解してくれただろうか。 5時に目を覚まし、朝食を食べ、売店のトイレで用を足す。中国語を話す女性グループの声が聞こえる。天候は良さそうで、東の空の雲が赤らみ、西を見れば、雲に富士の山影が映っている。南には愛鷹山の連山が雲の上に出ている。身支度を整え出発となる。 新五合目登山口から上のトイレ付近に行ったところでTZ氏が体調が優れないので登山は中止するとのこと。連絡のため私のケータイをTZ氏に預け、別れる。 AS氏、MZ氏がモーレツな勢いで先に進む。彼らを先に行かしたのを悔やむ。六合目の雲海荘を過ぎるが、彼らは既に先に行っていた。宝永荘のおばさんから「今日は暑くなるよ」と声を掛けられる。目指す山頂への小屋が視界に飛び込んでくる。視界の一番上が八合目のようだ。彼らを追わずマイペースを決め込む。六合目からやや進んだところで彼らは休んでいた。ペースの早い若い人も多く登っており、こんなペースで進める訳がないことを理解していない様子だった。
この辺りからMZ氏のペースも落ち始める。傾斜も増し、火山石の混じる道となる。ユッタリとした宝永山が見える。ブル道と交錯したところに七合目の案内がある。小屋からMZ氏が携帯でTZ氏に連絡する。
MZ氏の歩行にムラがあるので、私が先頭でペースを作る。鳥居を潜る。喘登となり30分刻みで九合小屋、九合五勺小屋に辿り着く。
剣が峰に向かうが風が強くなり急に霧が発生する。腹の調子が悪くなる。ステップのない坂道の部分もあり、厳しい登りとなった。頂部では強風に霙状のものが降ってきた。測候所の方に進むと、二等三角点、山頂標識があった。建物の風下となり、十数人が寛いでいる。昼食タイムとし、暫し、休憩する。気温は6度、霧で視界は全くない。傍で大きな声で無線の交換をしている人が五月蝿い。MTBを担いで来た人を5人ほど見かける。山頂部はガスで覆われてしまったので、お鉢巡りは諦める。
マメができて、辛そうに歩いている運動靴の若い人を数人見かける。軽装でまだ登ってくる人が居り驚く。宝永山方面へ散策している人の列が見える。六合目で少憩後、観光客でごった返す新五合目登山口に達する。 TZ氏の説明では今、山頂に「レンズ雲」が掛かっているという。近すぎて判明は難しいが風下にレンズの片雲が浮んでいる。車のところに戻り、着替えを済ませる。砂ホコリと日焼けで顔は黒ずんでしまった。 車を乗換え、三人とはここで別れる。富士スカイラインからR139に入る。道の駅「朝霧高原」で顔を洗う。食事を摂りながら登った富士山を眺める。山頂の強風は去り、レンズ雲の名残が浮かんでいた。R139、R358を通り、石和温泉で投宿となる。 富士山はこれで5度目の登頂となるが、吉田口が1回で他は富士宮口である。機会を見つけて須走口・御殿場口からも登ってみたい。 |