笊ヶ岳・布引山

笊ヶ岳
笊ヶ岳

【日 時】2004年 7月23日(金)
【天 候】曇り
【山 名】笊ヶ岳(2629m)・布引山(2583m)
【山 域】静岡・山梨
【ルート】 (5:40)老平駐車場--(6:05)林道終点--(6:20)小屋--(7:15)広河原--
(7;55)山の神--(8:20)インクライン--(9:05)標識の上--(10:10)休憩--
(11:00)桧横手山--(11:40)休憩--(12:25)お花畑--(13:05)布引崩れ--
(13:25)布引山--(14:40)笊ヶ岳--(16:20)布引山--(17:40)桧横手山--
(19:25)広河原--(21:00)老平駐車場
【所要時間】15時間20分
【メンバー 】単独


世間は7/17〜19は海の日の3連休であったが、T系列の会社のカレンダーは通常の土日のみの休暇であった。加うるに、システム立ち上げの立会いのため、休日出勤となり、山行はできなかった。一次流動も安定し、金曜日に有休を取得した。捲土重来、昨年、途中で体調を崩して諦めた笊ヶ岳を目指す。

木曜に仕事を終え、準備を整え、19:30頃家を出る。R23、R1と繋ぎ、岡崎から東名高速に乗る。清水で高速を降り、R52を北上。コンビニで食料と帽子を仕入れ、南アルプス街道に入る。早川から左折しダム沿いに進み、老平の駐車場に車を停め仮眠をとる。

空が白み始め、着替えをしながらウトウトと起き出す。数匹の犬を連れた人が「これから上がるのですか」と聞かれる。身支度を整え、クマ鈴を付け、出発する。集落の中で行き交った人から「雨が降るかもしれんよ」と声と掛けられる。山の上方には雲が掛かり、好天は期待できそうになかった。

ゲートを過ぎ、広い林道を歩き出す。黄色い標識が現れ、林道終点に達する。巾狭の道となり、山腹を横切りながら植林帯を抜けると小さな茶畑が現れ、小屋に着く。アップダウンのない水平道となる。崩壊地が2箇所ほどある。アルミ製の橋・吊橋なども現れる。砂金採集地を下方に望み、水の滴る岩壁を通過する。二股から右股に入り、河床に達し、そのまま左岸を辿れば広河原に達する。水量はなく、飛び石伝いに渡渉する。此処からは水場はない。少憩する。

ジグザグの一気の急坂になる。自然林の中に時折、陽射しが注ぐ。2日後まで休みということで、時間にはユトリを感じる。山の神で安全を祈念し、休憩をとる。
吊橋 山の神
吊橋
山の神
急坂が続き、川音が消える。残置ロープや索道重機の散在するインクライン跡を通過。ガレ場横に出るが、上方は相変わらず雲が掛かっている。山地所有者の看板を左に見る。急坂は益々斜度を増し、少憩を挟みながらの喘登となる。ツガ系の針葉樹林帯となり、傾斜が緩む。桧横手山山頂のテン場で休憩をとる。

水場の標識を過ぎると、深山の様相となり、急坂が続く。ピークの手前で右に捲き気味にルートが刻まれている。喘登にウンザリする頃に顕著な尾根に乗る。一年前は此処まで達することはできなかった。少し岩の混じる尾根道を快適に辿る。ヒョッコリ開けたガレ場に出る。

ガスで数十メートルの視界だが一面お花畑となる。花を楽しみながら、布引ガレの横を登る。ガレから離れ、所の沢越からのルートと出会い、布引山山頂に達する。山頂をカメラに収め、ツェルトなどを置いて笊ヶ岳に向かう。
桧横手山 布引ガレ
桧横手山
布引ガレ
木の被さる道を緩やかに下った後、急坂となる。二つほど急な坂を下り、鞍部に達する。緩やかな登り返しとなるが、頂近くになるとシャクナゲなどが現れる。布引と同じような木が被さり、傾斜が緩む。前方から人声が聞こえる。4人のグループが私と殆ど同時に到着したようだ。9時間掛けて達した山頂だが、残念ながらガスで視界はない。

山頂標識などをカメラに収め、ソソクサと来た道を戻る。案の定、布引までの登り返しはキツク感じる。ツェルトなど回収し、夜道になることを予想し、ヘッデンを取り出す。登頂も果たし意気揚揚と下りに掛かる。お花畑で天蓋に入れたと思っていた、ヘッデンを確認するがない。山頂に忘れてしまったことを認識するが、引き返す気力はない。
布引山 稜線の森林
布引山
稜線の森林
19:00位の日没までに広河原に降りることを目標に下る。急にガスが掛かり、暗くなるのが早まると思われた。しかし、幸いにも桧横手付近ではガスも取れ、夕陽も射し始めた。一気の急坂となり、足に負担を掛けないよう駆け下る。広河原に降りついた時は、辺りはスッカリ暗くなっていた。

月は半月にも満たず、月光は期待できない。水分を補給し真っ暗闇の水平道に進む。夜目だけでは無理と悟り、デジカメの液晶をライト代りにする。暫く、この状態で進むが、電力消費が多く、図体が大きいのでケータイに変える。真っ暗闇ではケータイの光量で充分ライト代わりになることを認識する。液晶の光は省電モードに入ると光量が落ち、断続的にオンしながら歩行を続ける。吊橋やアルミ橋は問題なかったが、崩壊地は足場を確かめ慎重に通過する。小屋に達し、茶畑で安堵する。

林道終点には焚き火をしている人がいた。「おつかれさま」と声を掛けられる。安心したのか夜の林道も長く感じられた。省電モードになると、道の脇には蛍が光っていた。何とか、車のところにたどり着く。

水分を補給し、着替えを済ませる。R52に出て食事を摂る。只見の沢では泥のテントに絡まった人が亡くなったが、他の3人は助かったことなどが詳しく報じられていた。韮崎で宿をとる。



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