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【日 時】 | 2004年 9月11日(土) |
【天 候】 | 曇り時々晴 |
【山 名】 | 鋸岳(2685m) |
【山 域】 | 長野・山梨 |
【ルート】 |
(5:55)ゲート前駐車場--(7:35)角兵衛沢登山口--(8:10)一合目-- (9:40)大岩小屋--(11:10)スフィンクス--(11:40)角兵衛沢コル-- (12:05)鋸岳(12:30)--(13:05)角兵衛沢コル--(13:55)大岩小屋-- (15:35)角兵衛沢登山口--(17:30)ゲート前駐車場 |
【所要時間】 | 11時間35分 |
【メンバー 】 | 単独 |
週末、北の予報が好転したので、長年温めていた鋸岳を決行する。 仕事を定時で終え、準備を整え、20時頃家を出る。岐阜羽島から高速に乗る。恵那付近では雨が降っていたが、恵那を抜けると路面は乾いていた。伊那ICで高速を降り、コンビニで食料を仕入れ、高遠へとR157を辿る。長谷村に入り美和ダムを右に見て、林道に入る。仙流荘には沢山の車が停まっていた。戸台大橋のゲートを右に見ると道は狭くなる。暫く走らせると橋本山荘と登山口の案内が現れる。地図を確認し、右に下り集落を通過する。少し登りカーブを切ると、地道の下りとなる。降り付いたところには、ログ風の案内指導所の小屋があった。川が流れ上流方向にはゲートが閉じて、辺りは大きな広場となっていた。他に車はなく、車内泊となる。 夜間が一台入ってきて、眠気が覚める。夜が白み、ウトウトと起き出す。辺りは大きな河原で、赤い車の人も準備をしている。調理パンを口に押し込み、身支度を整え出発する。 広い砂利道をタンタンと進む。砂防ダムを越え、暫くすると後からきた人に追い越される。「きのこ採りか?」と聞かれ「鋸岳に登る予定だが、天気は大丈夫か?」と尋ねると「天候は問題ない」との答えだった。広い道が途切れるところから、抉られた道となる。ルートは右岸を辿り、2つほど砂防ダムを右に見る。木の階段を登り、大きな砂防ダムを乗り越す。大きな河原が広がり、直ぐに左岸に渡る。ピンクのテープを追い、渡渉してしまったところもあったが、この後ルートは只管左岸を辿る。砂防ダムを左に見てタンタンと歩を運ぶ。ソロソロ登山口ではと思った頃、黒色の鋸岳(角兵衛沢コース)の標識が現れる。
見通しのない森林帯を黙々と進む。大きな岩の下に焚きの火跡があり、一憩し、駐車場の単独行に先を行ってもらう。 森林帯を抜けると岩のガレ場となる。上方はガスが掛かり、ルートを確認しながら歩を進める。やや急な岩石のルートになり、テープを追いながら歩を進める。左に岩壁が現れる辺りでテープが途切れ、先行する単独行を見失う。兎に角、上方を目指すと、前方に大きな岩壁が現れる。インターネットで確認していた、大岩小屋だった。小屋は帰路に立ち寄ることにして先に進む。 壁沿いから少し中央に寄ったあとまた壁際の戻る。急なガレ斜面は心配したが、左岸の森林帯にルートが刻まれていた。ルートは斜面の芯を採ることは無く、只管、左岸の立ち木を選んで伸びていた。ガレ帯に出ても掘り返しや踏み跡があり、ガレで埋まったところもあるが、迷うところは少ない。スフィンクスの岩を右に見るところで一憩し、余計な荷物をデポする。
急な稜線の道となり、木を掴みながらの岩場の喘登となる。山頂には先の単独行が寛いでいた。昼食を採り、山頂風景をカメラに収める。先行者はヘルメット・エイト環・ザイルなど縦走の準備をして、第二高点の方に下降して行った。絶えずガスが吹きあがり30分ほど滞在したが、視界は得られなかった。家にメールを発信し下山に掛かる。 コルで一休みしていると角兵衛沢から登山者が現れる。長谷村の人でインターネットで本日の天候が良いことを見て来たと行っていた。豊橋の人が後続しているとのだった。暫し、談笑する。下降すると左から単独行が現れ、行き交う。
右にガレを見ながら、森林帯の絨毯のような道を下る。ガレを登っている、男女の登山者に声を掛ける。ガレの底にも2人が居たが、地元の人で登らず、下にテントを張っているとのことだった。森林帯をタンタンと下降し、一合目を通過する。登山口前の涸沢でまた道を失う。川に出て渡渉し休憩する。 道端に咲く花をカメラに収めながら、ユックリと歩を運ぶ。晴れてはいるが、相変わらず山頂部には雲が掛かっていた。広い道の終端にはジープが停まっていた。最後の堰堤を越えると釣り人がいた。駐車場に戻ると、5台の車になっていた。着替えを済ませ一息つく。 仙流荘の駐車場は沢山の車が停まっていた。高遠のサクラの湯で汗を流し、帰途に就く。 鋸岳は難路と言われており、躊躇していた山だったが、登ってみて、随分異なる印象を持った。コースはガレの芯を採ることはなく、コル直下まで掘り返しや立木ががあり、斜度も考えていたほででなく、危険な個所も少なく思えた。強いていえば、大岩小屋の壁際のルート、コル直下の浮石の混じるガレの横断くらいか。アリ地獄と言われるようなところは少なかったが、第二高点へ伸びる銃走路はどんな様相なのだろうか。 これで名山巡りもあと一座となった。 |
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