京路山・八称宜山・八大竜王

八称宜山から
八称宜山から

【日 時】2011年 2月 8日(火)
【天 候】晴れ
【山 名】京路山(414m)・八称宜山(422m)・八大竜王(401m)
【山 域】三重
【ルート】 (10:40)剣峠--(11:25)京路山--(12:10)剣峠--
(12:40)八称宜山--(13:30)八大竜王--(14:40)剣峠
【所要時間】4時間00分
【メンバー 】単独


朝熊ヶ岳を考えていたが京路山に変更。伊勢道に乗り伊勢で降りる。内宮の前を通り、川沿いの細い県道に入る。途中xx峠まで2.7kの標識がある。2つ程の集落を越え長いと感じるあたりから植林帯の登りになる。稜線に達し鞍部を抜けたところが海の見える剣峠だった。峠にはその由来を記した案内碑と句碑がある。アンテナ給電施設や南伊勢町の標識もある。スペースに車が一台停まっていたが、身支度を整えていると、出発していった。

「京路山登山口 1.8」の橙色の標識にに従い、木の階段を登ると直ぐ右に岩場が現れる。ひと登りで稜線に出て神宮林からのルートと合する。常緑の矮小木の間に小径が走る。鳥が囀る木漏れ日の中の平坦な落ち葉の道をタンタンと進む。少し岩っぽいピークに出ると南側の景観が展がる。少し下って登り返したところに切原・泉、カマアトコースと書かれた標識があった。一投足で山頂に達する。

眺望が一気に開け、東は的矢湾が確認できる。南に延びる尾根の後方の左にはには入組んだ英虞湾、右手には五ヶ所湾が望まれ太平洋に映える光が眩しい。西には重畳とした山々が連なっている。二等三角点や山頂風景をカメラの収める。風も無く、光が強く感じられる日溜りでパンを食べる。

来た道を戻る。岩場の展望所からこれら目指す八称宜山を望む。峠に戻り食料を補給。木の階段をひと登りして尾根に出る。少し戻ったところにコンクリート柱がありバーアンテナが取付けられていた。平坦な道を快適に進んだ後、やや急な坂を登る。

展望所には木のベンチが二つあり五ヶ所湾や登ってきた京路山が望まれる。八大竜王まで1.3kの標識があるのでそのまま稜線を辿る。標高差50m程、一気に下る。道は明瞭で迷うところはない。そのまま山稜を進むと思っていたが南側に水平道が山腹を捲いていた。ひとピーク捲いた後、次ぎのピークに登る。ここが八大竜王北峰で401mの標識がある。赤テープを辿って捲き道に戻る。林道に出て直ぐ左に曲がり暫く進む。こんもり盛り上がったところの鞍部に峠があり左下に飯盛寺跡があった。先に進んだピークが南峰でここからは下りになる。

本日はここまでとし、来た道を引き返す。車のところに戻る。伊勢まで戻り、墓掃除をして帰宅となる。


案内碑の内容

明治二十三年、伊勢へ通じる近道としてできた。剣峠は「椿峠」の呼び名もあり、椿の純林があることでも知られている。この峠は五ヶ所街道とも呼ばれ、伊勢神宮に参る信仰の道でもあり、土地の人々が海山の幸を伊勢の町へ売りに行く生活の道であった。古くは峠に茶屋もあり徒歩や馬で往来する人々でにぎわったようだ。
伊勢から来て、この峠から熊野灘を見た文人は殊に興をそそられたらしく、多くの作品にとりあげられているが、作家で詩人としても知られる足立巻一はここへ立った時の感想を「剣峠」と題し、次ぎのように述べている。

剣峠というのは
若い荒神が天から舞い降りてきて
剣を岩に突き立てて
霊とともに消え去ったからだ。
という。

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