鶴見・由布院・湧蓋・傾山・大崩・尾鈴

【日 時】1998年4月29日(水)
【天 候】
【ルート】 (9:00)自宅==(11:00)大津SA==(14:00)勝央==(16:00)荷卸峠==(17:00)下関==(20:00)別府 
【所要時間】11時間00分
【メンバー 】単独

昨日の夜から出発する予定であったが、体調がすぐれないないため充分睡眠を取って出かけることにする。その間、百名山で地域的に残っている会津駒ヶ岳に行こうかと迷ったが、当初の予定どうり九州の2百・3百名山にでかけることにした。体調のことも考え本日は移動の日にあてる。

自宅を9:00にでる。ゴールデンウィークに入ったばかりで、京都から中国自動車道までの渋滞が心配であったが、六甲山から舞鶴自動車道ジャンクションの間でスピードがやや落ちたが、比較的スムーズに通過する。中国自動車道に入って交通量もぐんと少なくなって快適なドライブが続く。

広島県から山口県の県境あたりの荷卸峠を下ったあたりで、思わぬ事故に出っくわす。事故を直接見たのではないが、丁度事故が起こった直後のようであった。6〜8人乗りのボックスカーが横倒しになっていた。横倒しになっていた地点は幸いにも道路脇であった。私はその車の前方に車をとめた。運転者で主人とおぼしき人がまだ一歳にも満たないような子供を抱えながら、「怪我人はいない。全員大丈夫。まだ何も連絡していない」と言ってきた。車内から奥さんらしい人と子供が、上になったドアから出ようとしていた。車内にはまだ他に、女性と子供が2人ほどいたようであった。第一感、私は携帯電話をとったが、圏外でかからない。数台の車が次々に停車するが、皆、何をやっていいのかわからない様子であった。私は、とにかく連絡をとろうと考えた。暫く、車を走らせ道路脇に設置されている非常用の電話器をとった。最初に出たのは、JAFの人で、途中で警察の人に替わった。同じ内容を話すことになり、車の種類だとか何時の方向に横転しているかなど聞かれた。怪我人はいないとはいえ、緊急な状態だと思われるのだが。牽引車やパトカーを走らせて現場へいくのが先ではないか、車の種類や横転状態など現場へ行けば一目瞭然ではないかと思った。もっとも交通量も少ないこの地方ではこういう事故はめったにないものかもしれない。しかし怪我人や死亡者などがあった場合もこんな応対をするのであろうか。

ここで思わぬ時間を取られてしまった。基本的には移動の日であったが、早く着けば英彦山あたりを登って行こうと思っていたが、この時間になってはちと厳しい。17:00頃関門海峡に着く。ここから別府の民宿に電話する。鉄輪(かんなわ)温泉の民宿に決める。小倉東から国道10号線を走らせる。10号線でもセンターライン付近で軽自動車が衝突していた。本日は事故をよく見る日である。中津付近から別府に抜ける高速道路が走っている。別府の手前で九州自動車道となる。最初のSAに入る。別府の灯と、日向灘の海岸線がうっすらと望まれる。昼間であれば良い景観が望めるのであろう。温泉に入り、本日はここまで。

【日 時】1998年4月30日(木)
【天 候】晴時々曇
【山 名】鶴見岳(1375m)・由布院岳(1584m)
【ルート】 (8:00)--地獄巡り==(10:00)鶴見岳ロープウェー--(11:00)鶴見岳
==(12:00)由布院岳登山口--(14:30)マエタ--(15:00)由布院岳西峰
  --(17:00)由布院岳登山口==(18:00)川原湯 
【所要時間】1時間00分・5時間00分
【メンバー 】単独

体調は今一つ。朝はゆっくり起きる。案内書によるとこの鉄輪(かんなわ)温泉周辺が別府観光の中心であるようだ。地獄巡りをする。

本日は二山の予定なので鶴見岳はロープウェイで行く。また機会があれば、神社から挑戦してみたい。出発したときは頂上付近はガスっていたが、上に着くと晴れていた。ただ、春霞で遠望はきかない。頂上は公園風になっており七福神が登山道の脇に奉られていた。山頂までは10分といった程度。これから登る由布院岳が正面に望まれる。別府の街は春霞のため海岸線がうっすらと眺められる程度であった。

12:00頃由布院岳登山口につく。登山口手前の駐車場は車でいっぱいであった。幸いすぐに、スペースがみつかった。県外ナンバーの車も多いようである。下山の時刻も考え、民宿の予約をとる。明日は湧蓋山と大船山の予定なので筋湯付近の民宿村の川原湯という民宿に決める。

天候は晴・無風で気温が30度近くなり夏を思わせる状態となった。ヤマナミハイウエーから牧草状の平原の突き当たりが登山口となっている。登山コースは二つある模様。体調のこともあり当然ノーマルコース。

30分ほど歩いたところで一服。やはり体調はあまり芳しくない。由布院町からの分岐につくが暑いのでしばらく登り続ける。電光を切り始めるが傾斜は一定である。体調が良ければ快適に歩行できそうであるが、暑さも重なり2度休憩をとる。マエタ手前でかなり体調がくずれる。仰向けに空を仰ぎながら暫く横になる。

14:30マエタ到着。10分ほど休憩する。その間に企業のラグビー部員らしい団体が20人程ほとんど何も持たずに登ってきた。若い部員が中にペットボトルをいっぱいにしたデイパックを持たされていた。皆、ごっつい体つきをしていて力がありあまっている様子であった。彼らは数分、休憩を取って東峰に登っていった。私は、体調のこともあり東峰か西峰どちらかにすることにした。東峰は見えている坂を登ってしまえば終わりで、西峰は東峰より標高が高く、鎖場もあり注意を要すると本に書いてあった。私は西峰に登ることにした。体調に問題がなければ、当然お鉢めぐりとなったろう。

ザックをマエタにデポして西峰に向かう。マエタから山頂まで全て岩場で注意を要する鎖場も一箇所ある。山頂は小広場となっていた。東峰がほぼ同じ高さに見える。いつも思うことだが、標高がほぼ同じだと、自分の位置しているほうが低く感じられる。お鉢めぐりのコースもその全様がうかがわれる。先ほどの鶴見岳が大きく望まれる。周りの山々も望まれるが20万分の1の地図を持っていなかったので山岳同定はできない。遠方までの視界がないため久重山系はみえなかった。明日から天候も崩れる模様で、1500M以上は雲がでてきた。後から来たラグビー部員の一部も西峰を向かって登ってきた。

デポしていたマエタまで戻り下山開始。ラグビー部員達はごっつい体型ではあるが体力があり、分岐手前で追い越していった。帰りはあまり体力を使わないので分岐で一服して車まで戻ることができた。

ヤマナミハイウエーを走らせ、由布院へ向かったが、豊後富士の名にふさわしくどこからでも由布院岳が大きく見えた。由布院でスーパーへ入り、簡単な買い物をすませ、JR駅で久重の長者原への道順を確かめ、川原湯をめざした。ミヤマキリシマの季節には早かったが、久重プリンスホテルのまわりには咲いていた。人為的に咲かせたものであろう。その季節になると、荒々しい黒い岩と濃い激しいピンクという、えもいわれぬ景観が望まれるのだろう。長者原からは百名山巡りのとき筋湯温泉に宿泊したこともあり、地理感もあったので比較的スムーズに川原湯に着いた。民宿の湯に入り,本日はこれまで。


【日 時】1998年5月1日(金)
【天 候】曇時々雨
【山 名】湧蓋山(1500m)
【ルート】 (8:00)肥前湯--(10:00)湧蓋山--(11:00)肥前湯、筋湯(うたせ湯)
==(14:30)竹田市(岡城)==(17:00)上畑(小学校廃校跡)
【所要時間】3時間00分
【メンバー 】単独

本日の天気予報では午後からは雨模様ということで、とにかく湧蓋山に登ることにする。肥前湯が登山口になっている。橋を渡って道は家の中を通っている。

暫く行くと牧草地にでる。湧蓋山から一目山に続く山並みを眺めながら、快適な牧草地の歩行が続く。1500M以上に雲がかかっているが、その下は比較的視界は良い。筋湯方面からの南風が強い。

この牧草地帯を50分程いくと林道が横切る湧蓋越に着く。 ここからが登山道らしくなる。ピークの女岳までがこのコースで一番の急斜面である。湧蓋山へのコルを時々雲が早く通り過ぎてゆく。

湧蓋山は広々とした山頂で快晴ならば絶好の展望であろうと思わせた。どうやら、私が一番のりのようだ。時々切れる雲間からの眺望をビデオにおさめる。地蔵原への道を確認していたら、中年の4人グループが登ってきた。「雨にならないうちに登って良かったですね」と声をかけられる。

もと来た道を引き返したが、牧草地帯の道では途中迷ってしまった。草地では見透しは効くが、どこも同じように見え、目印をしっかりもっていないと思わぬところで迷ってしまうことになる。帰り道では多くの登山者に会った。人気のある山であることを実感した。時間的に、体に負担をかけるものでなく今回の山行でも最も快適なものであった。

筋湯温泉のうたせ湯に入りゆっくりする。筋湯温泉では番台がいると思ったが、いなかったのでそのまま入った。後で気付いたが、風呂屋の前の雑貨屋が管理しているようであった。

雨模様となり、大船山は取りやめにする。久重山系はどうも雨の巡り合わせになるようだ。三年前の久住山の時も長者原から雨であった。明日の傾山の、民宿の予約をする。民宿は少ないようだ。上畑にある小学校廃校跡が本日の宿となった。賄いはなしとのこと。

竹田市にたちより岡城を見学する。ここでは晴れていた。滝錬太郎の銅像と荒城の月の歌碑が本丸跡の敷地にたっていた。懐かしの立川澄人さんの歌が流れて歌詞の世界を偲ぶものとなった。桜の咲く頃、訪れてみたいものである。

本日は賄いなしなので、緒方町で買い物をして上畑へ向かう。小学校廃校跡では管理人のお爺さんが待っていた。電話してから直ぐ来ると見積もっていたようでかなり待ったようであった。小学校は私が通った時代の古いものであった。それにしても山奥へきたなという感じがした。



【日 時】1998年5月2日(土)
【天 候】曇時々雨
【山 名】傾山(1657m)
【ルート】 (6:00)九折林道(傾登山口)--(8:30)三尾--(11:30)傾
--(13:00)九折林道(傾登山口)==(15:30)高千穂==(16:30)高千穂狭、国見岳
==(18:00)高千穂
【所要時間】7時間00分
【メンバー 】単独

天気予報では午後には雨で、しかもかなり激しいものになる予想であったので、5:30小学校を出発する。時間的に短いとおもわれる三尾からのピストンにする。九折から直接登るのではなく林道を使い時間をかせぐ。6:00頃ゲートに着くが、ゲートは開いていた。これから先も走れそうであったが、責任は持てないとの標識があったのでここに車を停める。

林道からの登山口はすぐの所にあった。慌ただしく出発したためストックを忘れる。三尾までは森林帯で急登が続く。朝早くから出発で体調が今一つである。二度ほど休憩をとる。この休憩で手拭いを忘れる。やっとのことで大谷川からの道との出会いの三尾に着く。天候は風が強いが、午前中はもちそうである。また樹林帯のため風の影響はほとんど受けない。

ここからは、五葉塚までは前傾などを通る岩稜帯のコースとそのルートを捲くコースがあるが、当然後者を選ぶ。本でも紹介されているので楽なルートと思いきやアップダウンもあり、なかなか厳しい。水場で喉を潤し気合を入れ直す。五葉塚からは暫くは緩い登りが続く。後傾の針峰が迫り頂上が近いことを感ずる。途中からストック代わりに使っていた木も捨て針峰の登りに取り掛かる。

ピーク手前で踏跡が薄くなるが、さしたることも無い。ここで本日、初めて登山者に出会う。4人のグループである。本傾も同様な登りで、最後はあっけなく頂上に達する。さすがにここでは風が強い。先客の人も岩陰で休んでいた。風が強く視界も効かない頂上で、三角点をビデオに収める。岩陰で昼食を取っていると二組の中年夫婦が登ってきた。九折越のほうから来た模様。やはり九折から沢を詰めるルートがメインのようである。一組のほうは宮崎県側から登ったようでこちらのコースが時間的に最短ルートのようであった。

本日は雨を覚悟していただけに、ここまでは雨にもあたらず、まだ暫く持ちそうであったので、展望はなかったがそそくさと帰ることにした。下山コースはもと来た道を引き返す。水場で一服し林道まで一気に下る。途中で4人グループに追いつく。「はっやいですね」と言われたが、彼らは重装備であり、私は軽装でピストンなのでコースの状況は往路でよくわかっていたこともあり、そんなに早いとも思われなかったのだが。

車に戻り、中学校跡でシャワーを使用させてもらい、高千穂に向かう。高千穂への道はカーブも多く道も狭い。尾平鉱山跡付近で雨が本格的になって来た。祖母山への登山口もあり、駐車している車も多い。峠のトンネル手前ではどしゃぶりの雨のなかを登山者が道路脇を歩いていた。雨にもあたらなかった私は全く幸運であった。

高千穂ではJR駅の近くの民宿を取った。高千穂渓谷は河床が二段になっていてなかなかの景観であった。国見山からは高千穂の街が一望できた。街と渓谷が雨上がりの雲の中に映えていた。

【日 時】1998年5月3日(日)
【天 候】
【山 名】大崩山(1643m)
【ルート】 (8:00)高千穂==(9:00)比叡山、矢筈岳==(10:30)大戸内登山口
--(12:30)大崩山--(14:00)大戸井登山口==(15:00)延岡
==(16:30)日向美々津(サーファーのたこ部屋風)
【所要時間】3時間30分
【メンバー 】単独

天気予報では雨は峠を越えた模様ではあるが、これから出かける宮崎方面はぐずつくとのこと。宿の主人が本日は祖母山の山開きであることをしきりに言ってくる。出発際にカップ焼酎をいただく。無口な人で「持ってけ」てな調子で渡された。九州は酒は焼酎だとのこと。私は、現在酒類は絶っているが、九州人の意気を感じありがたくいただく。

国道を走り橋を渡り宇土内谷林道を行く。途中で槇峰方面に下ってしまい時間をロス。10kmほどのところで蛾蛾たる岩山が河岸の両側に現れる。地図をみると比叡山、矢筈岳ようである。標高は9百数十mのようであるが、ロッククライミングのゲレンデのようでそれとおぼしき人達が、準備に取り掛かっている。

登山口まではここからさらに40分ほど車を走らせた所にある。傾山もそうであったが、登山口までアプローチが非常に長い。百名山はいずれも交通の便がよかったが、3百名山になると登山口までのアプローチに苦労する。

大崩山を満喫するならやはり上祝川から登るべきであろうとも考えたが、昨日の傾山で疲れが溜まっていたので、楽なコースを選択した。

登山口は車で溢れていた。ゴールデンウィーク後半の日曜日ということもあり、地元の人が多いようである。登山口の標識は車のかげに隠れていたので、よく判明しなかったが、駐車の密度が高かったのでそこから暫く行ったところに駐車する。身支度を整え駐車密度の高い所へ戻ると登山口への標識があった。この標識がわからず先の方へ行ったグループがいた。駐車には気をつけたいものである。

10分程広い道を歩き登山口に着く。途中道がえぐられている箇所あり。登山口は昨日までの雨で沢水が溢れていた。一時間ほど展望のきかない林の急登を登り尾根に出たところで90度右に折れ、暫く行くと開けたピークに着く。ここで一服する。雲がかかり眺望は得られない。この付近は笹も低く、ぶなの様な大木があり気持ちのよいところだ。

ここから小積ダキ分岐までは尾根歩きとなり、平均すれば緩やかな登りが続く。雨後故、所々ぬかるんだ箇所もある。小積ダキ分岐からは上祝川からの登山道と合流するため登山者が俄然多くなる。石塚までは数十人の団体と一緒になり、すれ違う人もあり渋滞になってしまった。

石塚は晴れていれば展望の良い場所であろう。雲の切れ間から上祝川方面の景観が望まれた。多くの人が三々五々岩場で昼食とっていた。景観をビデオに収め、山頂に向かう。山頂はそこから10分程のところにあり、樹木は仮払いされているが眺望はない。石塚に戻るのも人が多いのでここで昼食にした。

上祝川方面から来た人と話をしていたが、私が三重からきたのでびっくりしていた様子だった。わざわざ三重からこの山に登りに来たのかと聞かれた。九州の百名山は登ってしまったので三百名山を登っているのだと説明すると、非常に羨ましがられた。九州の人が百名山に登るのは大変なことかな、と改めて思った。また「大崩山に登るなら上祝川から登りなさい。大戸内からでは大崩山の良さを半分も味わってないですよ。」と言われた。

眺望も効かず、人も多くなってきたので下山することにした。小積ダキ分岐から登山口の途中で登山口駐車場で反対方向に行ってしまった博多の人達とであった。ゴールデンウィークの真ん中で登山者は多い。

長い林道から国道に出る。延岡を通り日向の美々津で民宿をとる。

【日 時】1998年5月4日(月)
【天 候】
【山 名】尾鈴山(1405m)
【ルート】 (8:00)尾鈴登山口--(10:00)尾鈴山--(11:30)尾鈴登山口
--(12:30)矢研の滝==(13:30)宮崎シーガイア==(15:30)人吉温泉
==(18:00)熊本(人吉=>八代渋滞)==(22:00)門司==(24:00)荷卸峠(仮眠)
==(12:30)草津SA==(14:30)自宅
【所要時間】3時間30分
【メンバー 】単独

サーファーのたこ部屋の様な民宿を朝6時頃出る。クエントウキャンプ場に着く。本日も尾鈴のメインルートである滝のコースはとらず、尾鈴山だけのピストンにする。キャンプ場からはダートとなる。途中で通行止めの部分があるがゲートは開いており、先に進めそうなのでそのまま暫く行くと、登山口の対岸に着く。ゴールデンウィークに工事を間に合わせた様子であった。ここから先は車止めがある。道路脇に駐車する。私が一番早かったようだ。

川は名曝の地域の名にふさわしく小さな滝も立派な釜を持っており、河が岩床を削り見事な滑滝をなしているものも多く見られた。

身支度を整えていると、年配の単独行に続き、団体さんがバスからおりてきた。橋を渡り登山口に取っ付く。最初からいきなりの急登である。年配の単独行に三合目で抜かされる。かなり山馴れているようだ。三重からきたことを伝えると、「よくこの山に来て下さいました」というような返答が返ってくる。

大体一定した登りが続く。最初、団体さんの声が聞こえていたが、途中から聞こえなくなる。七合目付近で一服する。寝転んで空を見上げる。植生が少し異なるようだ。視界の効かない林が頂上まで続く。

頂上は広場になっているが、眺望はきかない。本によると展望台のようなものがあると書いていたがもうないようだ。少し切り開かれた箇所もあるが、展望はそれほどない。団体さんがやってきて賑やかになる。写真を撮って団体さんは北にある眺望のきく山の方に下っていった(山名?)。瀑布群に向かうことも考えたが、本日は帰省に付くためこれで終了することにした。下山中多くの登山者にであう。林道は道路脇に車があふれていた。

せっかくの名曝の地帯にきているのでこのまま帰るのもどうかと思い、矢研の滝を見に行った。キャンプ場から30分ほど矢研の滝につく。充分な高さから溢れんばかりの水量の滝があった。那智の滝を含め私の知っている滝の中では、五本の指入る滝であった。次回訪れる機会があれは是非、白滝など名曝コースを巡ってみたいものである。

家路に付くが10号線は混雑しているので、南に向かい高速道路をできるだけ使って帰ることのした。人吉で一旦高速を降り温泉でゆっくりした。高速道路は人吉・熊本間で十数kmの渋滞、熊本・博多間で断続的な渋滞に巻き込まれた。往路、事故に巡り合わせた荷卸峠の付近で仮眠をとり翌日無事帰省できた。


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