奥穂高岳

奥穂高岳から槍ヶ岳
奥穂高岳から槍ヶ岳を望む

【日 時】1998年 7月30日〜31日(木、金)
【天 候】曇時々雨、曇時々雨一時晴のち晴
【山 名】奥穂高岳(3190m)
【ルート】  7月29日 (21:30)自宅==(01:30)平湯温泉
7月30日 (05:00)平湯温泉==(05:30)上高地(6:00)--(7:00)明神池--(8:00)徳沢--(9:00)横尾--(10:00)本谷橋--(12:30)涸沢--(16:00)穂高岳山荘
7月31日 (7:00)穂高岳山荘--(08:00)穂高岳--(10:00)穂高岳山荘--(12:30)涸沢
--(14:30)横尾--(17:00)上高地==(18:00)平湯温泉==(21:00)高山
【所要時間】10時間00分、10時間00分(含休憩)
【メンバー 】二人


穂高は学生時代に行ったことがある。ゴールデンウィークのクラブの合宿は穂高であった。二度参加したが、岳沢と涸沢にテントを張った。二十数年ぶりの穂高である。今回は夏休みの南アルプスの足慣らしも兼ねて妻と共にでかける。最初は横尾でキャンプを張る計画だったが、南アルプスは山小屋を利用する予定なので小屋泊りに決定する。

7月30日

上高地へは平湯側から入ることにした。山渓の夏山データブックでは上高地まで30分となっている。29日の夜自宅を発って平湯温泉の手前で仮眠をとる。4時30分頃平湯温泉に着く。沢渡側からの山行記では始発のバスに200人ほどの行列ができるとの記述があったが、バスターミナルは閑散としていた。バスターミナル前の駐車場はターミナル利用者用で上高地へ行くには800M程離れた駐車場を利用する旨の案内があった。乗換用駐車場からリムジンバスでバスターミナルへ行き、そこで上高地行きのバスに乗り込む。これも乗換用駐車場に駐車した先人がリムジンバスの確認を取っていたようでラッキーであった。

平湯温泉から上高地までは片道1030円で往復は1800円とのこと。新穂高側に降りることも考えて片道とする。新しくできた平湯トンネルを通って、中の湯に下れば懐かしの上高地への道である。少しの時間だが、睡眠を充分に取っていないので寝ようとするがなかなか寝られない。釜トンネルの前で信号待ちで停まったがあっという間に上高地に着いた。着いてみると驚いたことに沢山の人がすでにバスターミナルにいた。やはり沢渡側からの入山者が圧倒的に多いようだ。

天候は今一つはっきりしない。西側は朝霧の上に焼岳がすっくと顔をだしている。軽く朝食を取り、登山届けを出し出発する。河童橋からは岳沢は眺めるが中腹から霧がかかり前・奥穂高は望めない。定番の写真を撮り出発である。

横尾までは川沿いの緩やかな道でコースタイムどうりに通過する。途中何組かの高校生らしい人達出会う。朝の散歩であろうか?人の往来も多く北アルプスのメッカらしい。車が通る道なので道幅は広い。セーブしながら歩いたつもりであるが、やはり11KMの道のりは長いようだ。

横尾からは山道となるが、橋を渡って直に心配していた雨が降り出してきた。雨具を取り出し出発するが、傘をさして歩いている人も多い。本には登りがきつくなるとあったがそれほどでもない。屏風岩を左に見ながら進むが、本谷橋まで長く感じられた。本谷橋では水は汚染されているので飲まないようにとあったが、疲れもあり支流から流れている水を少し飲んでしまった。

雨は強くはならず、小雨の状態が続いていた。本谷橋からはやや強い登りとなり、この登りがまだこれからも続くのかと思った頃から平坦な道となる。行く手に雪の斜面が一瞬望まれ涸沢の位置を確認する。涸沢が見えてからが遠いとあったので気を引き締めるが小屋分岐の手前の水場で休憩をとる。ここから涸沢ヒュッテまではすぐであった。涸沢ヒュッテにはテラスのような展望台がある。少しの間晴間があり、涸沢の周りの山々が望まれた。

本日の目的は涸沢までであったが、時間的に穂高岳山荘まで行けそうなので出発する。お花畑コースを取るが疲れもあり足取りが重い。登りきった所から右に曲がる。ここで山岳救助隊の人が怪我人を降ろすのに遭遇する。このあたりからがあの写真によく出てくる涸沢槍を背景にしたお花畑である。あの針峰の涸沢槍が望まれたのは後にも先にもこの一瞬であった。後で聞いたところでは花はすでに最盛期を過ぎているとのことであったが、私には満開のように見えた。涸沢小屋との出会いの前の雪渓で50人程の登山者が寛いでいた。妻の足取りも重くここで暫し休憩とする。降りてきたおば様たちの話では山荘まではまだまだとのことであった。

涸沢小屋との出会いから完全な雨模様となった。ザイテングラードの取っ付きからは濡れた岩場を慎重に通過する。集中力を持続するため一度しっかり休憩を取り熱い紅茶を飲むと目がパッチリした。あと20分との案内が岩に書いている所で更に休憩する。最後の一登りで降りて来た人から「あと5分ですよ」といわれたが10分もかかってしまった。妻もかなり疲れた模様である。

小屋に飛び込み宿泊の手続きを行う。2人/布団のようだ。部屋の隅に当たりラッキーである。乾燥室もあり、まずは雨具の乾燥であるが既に乾燥室は満員の状態であった。食事は部屋毎に呼ばれ我々は最後の組みであった。どうも当着順のようであった。我々の部屋には槍ヶ岳から縦走してきた医師のグループがいた。明日は西穂高まで行くとのことであったが、我が物顔に部屋で大きな声で宴会まがいの状態でありいやな気持ちになった。食事のあとスライドの上映会があった。写真家(定職は別にある)の説明があったが、穂高に魅せられた典型的な人のような気がした。

色々な点でよく考えられた小屋であったが、私達には初めての本格的な小屋泊りで乾燥室に入り浸りであった。9時が消灯であったが、グループの一人が寝る場所がないといって遅くまでわめいていた。体を一通り拭いたつもりでいたが、着替えをしなかったので汗っぽさが残りよく眠れなかった。また布団と毛布が2枚あったが、消灯時には暑くて必要なかったが、朝方は流石に冷え込んだ。夜半、雨音が聞こえていたが、途中起きだした人が「星がきれい」とか言っていた。

7月31日

日の出は5時少し前であった。朝食は5時から早いもの順であった。日の出前に外に出たが快晴であった。昨日、雨の中をここまで登ってきたことが大正解であった。常念岳に向かって右肩からの日の出であった。三尾根・涸沢はすっきりみえるが横尾辺りの沢筋が雲がかかっている。西に周ると笠が岳がのぞまれ、目の前から一気に落ち込んでいく白井沢の迫力も素晴らしい。

のんびり出発しようと言うことで食事は最後になってしまった。早くしても、目の前の梯子で渋滞しているようであった。ゆっくり朝食を済ませ混雑が収まったころ出発する。いきなり梯子や鎖場が連続し、高度感もあり緊張する。ここが一番の難所である。その後は石の登りが続く。振り返ると北穂高から槍までの岩稜が飛び込んでくる。降りて来る人の話から頂上の検討を付けながら登っていくが意外と呆気なく到達する。

山頂には大勢の人がすでに到着しており皆記念写真を撮っている。展望は抜群である。ジャンダルから西穂、前穂高から三つ尾根、涸沢岳、北穂など穂高のメインキャストの揃い踏みである。笠ヶ岳から双六、鷲羽、槍など距離的に近い山と乗鞍や御岳など大きな山は山岳同定は可能であるが、槍の後に展開する山々の判別が今一つであった。どう見ても剣岳に見える山があったが、ここから見るとこう見えるのかという気がした。妻は持ってきたフィルムもあっと言う間に使い切ってしまった。山頂での驚きはもう一つあった。それはどう見ても小学校の低学年あるいはそれ以下の子供がそこにいたことであった。親がいたとはいえその子供があの梯子や鎖場を越えてここにいるのであった。

眺望を充分堪能した後、下山にかかる。下山中も沢山の人が登って来た。登りの時緊張しながら登った梯子や鎖場は帰りは勝手がわかっていることもあり楽に通過できた。登りの時は初めてでありこんなルートがまだまだどれくらい続くのかわからないこともあり緊張したのだと思う。

穂高岳山荘に着いたときは今まで見えていた視界が一気に閉ざされてしまった。山荘の前にはエネルギッシュな韓国の中高年の女性のグループがいた。彼女達はどこからここまで来たのかは分からないが、少し休憩しただけで急いで出発していった。これから晴間は午後遅くにしかなかったので十分な眺望は得られなかったと思う。しかし、韓国の人達がよくこの穂高までやって来るなあと感じた。韓国には3000M級の山はなく立山や穂高が人気になっているという話を聞いたことがある。

下りも渋滞が始まっており少し時間をずらせて出発するが、すぐ渋滞になる。京都からきた小学生たちは大きな声で登ってくる人に「どこから、来ましたか」ときいていた。話によると毎年、立山と穂高にかわるがわる来ているとのことであった。この他にも小学生のグループを多くみかけた。ザイテングラードを降りたところで雨となった。登ってくる人が、空を見上げながら「天気予報はあてになりませんね」と呟く。本当に朝の快晴は何だったのだろうか。

涸沢小屋の直前で50人ほどの中高年のグループが登ってきた。「登り優先」と大きな声をあげながらズルズルと50人の列が続く。下山中の人は道を空けたが、なかなか通り過ぎてゆかない。とうとう途中で立ち止まってしまって一向に動く気配がない。「登り優先」とは登る人のほうが、下る人に比べて負荷がかかるので登る人を優先しましょうということだと考える。こう糞づまりの状態になっては問題は別である。下る人も掃かなければ渋滞はいつまでも続く。このあとに涸沢から下った時に出会った50人のグループはこのグループとは随分違っていた。最初出会ったリーダーらしい人が、「これから50人続きますよ」といってくれた。一瞬「えっ」。覚悟を決めて道を空けるが15〜20人程で途切れる。どうやら数組みに分けているようであった。待たされる時間も少なくスムーズに通過できた。グループ登山をする場合、リーダー資質が問われるものだと思った。

涸沢小屋でプリンを食べ下山を決定する。雨が2日続きになると気分的に厭になるものだ。涸沢から本谷橋・横尾へ下るが登ってくる人は多い。昨日より間違いなく増えている。本日の山荘の込み具合はどれくらいであろうか。まだウィークデイであり、土曜・日曜になるとさらに増えるのであろう。この山域に人気の高さをあらためて思い知る。それにしても皆さんザックが大きい。横尾の手前でまた晴れた。暑いので雨具を脱ぐ。

横尾からは徳沢・明神で休憩し上高地を目指す。休みの度に疲れがどっとでる。どうやら足にまめをつくってしまったようだ。早めに上高地に着いて散策でもと考えていたが着くのがやっとの状態になってしまった。そそくさと平湯温泉行きのバスに乗り込み、神の湯温泉に入り一件落着。



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