石津御岳

【日 時】1998年11月07日(土)
【天 候】
【山 名】石津御岳(629m)
【ルート】(11:00)自宅==(11:30)石津神社--(12:30)五合目上(オートバイ)--(14:00)石津神社
==(14:30)自宅==(15:30)石津神社--(16:30)五合目上(オートバイ)
--(17:30)オートバイ引上げ--(18:00)石津神社==(18:30)自宅
【所要時間】 5時間00分
【メンバー 】単独



体調がすぐれないので近場にする。大垣山岳協会の美濃の山に載っている養老山系の石津御岳を目指す。南濃町安江を左折し盤若谷沿いに進むが、案内にある砕石場前の林道は鎖がかかって通行できない。道の踏み跡からみて最近あまり使われていないようである。脇の道路を少し戻るように下るとみかん畑になり、少し上に神社らしきものがあった。小広場になっている道路脇に車を停める。石津御岳の標識もある。

身支度を整え出発する。神社を抜けしばらく進むと一合目の標石が現れる。急ではあるが道がジグザグにきられており歩きやすい道である。眼下には揖斐川が大きく望まれる。三合目を少し行くと開山教祖の碑があった。ひと登りすると、右手に砕石場が現れる。向かいの山からこちら側まで巨大に山がえぐられている。下ではとても考えられないほどの規模である。傍らに五合目の標石がころがっていた。

五合目あたりの見通しの良い道を進むとヒノキ林になる。林の中を少し行くと上の方で何かガサガサ音がする。木の擦れ合う音かと思っていたが、どうやら人がいるようだ。近づいて見るとヒノキ林の中で山道から数メートル下にオートバイを引上げようとしている人がいた。

何が起こっているか理解するのに戸惑ったが、オートバイの引上げを手伝うことにした。モトクロス型のバイクなら手を貸せばすぐにでも持ち上がるだろうとたかをくくって取り掛かったが、どっこいこのオートバイは150〜200cc位あるようで総重量は間違いなく100kg以上はあった。横に移動させようと思うのだが、二人の力ではほとんど動かない。動かせば余計に現在の位置より落ちてしまう。枝打ちされたヒノキも車輪に絡みついて動かせなくなった。

彼は二十台の若者で石津側から山に登り、養老山方面は道がないことと、多度山の方は既に通ったことがあるので、初めてではあるがこの道に挑戦したとのことであった。ガイドにも、こちらの道は良いと書いてあったとのことであったが、下りのカーブを曲がりきれずに落ちてしまったとのことであった。

人影の薄い山道で人の通る気配はない。二人では限界であることを悟り一旦、山を降り応援を頼むことにした。木曽三川公園で彼を降ろした。津島の人で弟や知り合いに応援を頼むとのことであった。私は自宅からザイルと車のキャリヤーシートを持って再度、五合目上まで登ることになった。彼らは安全を考え石津側からアプローチすることになった。

一時間弱で五合目上に着いたが、彼らはまだ到着していなかった。持ってきたザイルを二重にしてバイクにかけ両端を木に掛けた。暫くたつと彼らも三人で到着した。まず私が掛けたザイルでバイクを建て直した。エンジンをかけてみたがなかなかかからない。やっとのことでエンジンがかかったが、傾斜があるうえ、下地が柔らかく空回りするばかりであった。彼らはウインチを持ってきており、エンジンは使わず、木にウインチを引っかけ斜め上に少しずつ引き上げることにした。人力とウインチの4〜5回のトライでなんとかバイクを道の所まで引き上げることができた。日没となり林の中で、あっという間に暗くなった。

エンジンもかかりライトも使えるようで、私は下山することにした。翌日お礼の電話があり、彼らは暗闇の中をそこから一時間ほど登って無事、乗ってきた車のところに到着したとのことであった。

この山行を山行とすべきか迷ったが記録しておく。最近マウンテンバイクやモトクロス型のバイクを山道で見かけることはある。そういう出会いでも驚くのだが・・・。なぜあんな大きなオートバイでこのような山道まで入ってきたのであろうか。だが、この詮索はやめておこう。なぜなら、私の山行も似たようなものであるからである。ところで、私が彼の立場であったらどのような行動をとったであろうか?状況を理解しすぐに集まってくれるような仲間は私にはいない。JAFに「オートバイを落としてしまったので助けて下さい。但し現場は山の中で歩いていかなければならず、3〜4人の人力が必要です。」と間抜けな依頼をするのがせきのやまではないだろうか。



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