![]() |
【日 時】 | 1999年 1月 2日(土) |
【天 候】 | 晴 |
【山 名】 | 桜島(1117m)・開聞岳(922m) |
【山 域】 | 鹿児島 |
【ルート】 |
(7:45)桜島==(8:30)湯の平展望台==(10:00)垂水==(10:30)高隈山キャンプ場== (11:10)フェリー==(11:30)鹿児島== (14:40)開聞岳登山口--(15:05)五合目--(17:50)七合目--(16:40)開聞岳-- (18:40)開聞岳登山口==(19:10)指宿 |
【所要時間】 | 5分・4時間00分 |
【メンバー 】 | 二人 |
7:45 宿を出発 8:30 湯の平展望台。噴煙をあげる桜島。近くで見ると又、迫力がある。西側には鹿児島市がみえている。 9:00 林芙美子文学碑に立ち寄る。母の出生の地とのことだ。「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」小学校の時から、しっかり記憶にとどめるこの言葉である。だからこそ一日一日を自分に納得のいく生き方をしたいと思ったのだろう。苦しいのみで終わらせてはならぬと・・。本当に苦しいことだけなのだろうか、苦しみから得られるものがあるはずだ。この得ることを私は楽しみにしたいと・・・ならば花の命は短いが、されど得られるものは多かりきと。朝早くから掃除をしているおじさんの話によると、このあたりにサッカーの競技場ができるとのこと。噴煙の絶えないところ、人が集まるのであろうか。土産物屋には桜島大根が陳列していた。これからが収穫期でもっと大きくなるとのことであった。 10:30 猿ヶ城キャンプ場着。通行止めの標識があり、その少し先は鉄柵で遮断されている。今回の旅の大きな目標の山であったが、ここから歩き始めると6時間は覚悟しなければならない。指宿に宿をとってしまったので時間的に無理である。主人の気持ちはよくわかったが、あきらめるのも勇気である。今きた道を戻る。(家に帰って調べたが、月間雑誌「山と渓谷」98年11月号に高隈山の案内があり通行止めのことも記述してあった。) 11:10 フェリーで鹿児島に渡る。鹿児島の人はいつもこの桜島を見ながらすごしているのか。海面からそそり立つこの山の景観、フェリーを利用する人はさらに親近感のある山なのだろう。 11:30 鹿児島市内観光もしたいところが、いっぱいある。が、今日は開聞岳にものぼりたい。西郷隆盛の銅像の写真を撮るのみで終わる。駅前も歩いてみたかったが、駐車するところがない。 14:00 菜の花が一面に咲き、池田湖の向こうに開聞岳。なんと素晴らしい・美しい・清々しい光景だろう。 14:40 開聞岳登山口。百名山の一つにこんな時間から登るのである。登り口で「今から登られるのですか。暗くなりますよ。気をつけて。」と言われる。この時間誰しも思うところである。 15:10 五合目 15:50 七合目あたりからゴロゴロする岩の道で歩きにくい。視界のきかない道をあるいてきたので、開けた時には高度の増していることを知ることになった。 16:40 山頂に着く。日没前である。西日がまだ照っていた。登る途中で幾人かの人に会った。今日も大勢の人でこの山頂を賑わしたであろうが、今は二人のみの山頂である。皇太子も昭和63年に登られたとある。 16:50 下山開始。ヘッドランプ準備 17:45 五合目。このあたりからヘッドランプオン。一本道でまず迷うことはないので慎重におりる。 18:35 ふもとの公園に着く。指宿の宿に電話を入れ、遅くなることを詫びる。 19:10 宿に迷うことなく着く。食事をとり、砂の蒸し風呂にでかける。海岸沿いの木道はかつて行ったことのあるフロリダのマイアミを思い出した。マイアミの長さの何十分の一かもしれないが、南国の懐かしさがこみあげてきた。ほぼ10年前の正月だった。 妻 記 |