継鹿尾山(つがおさん)

継鹿尾山
犬山城から継鹿尾山を望む

【日 時】1999年 1月23日(土)
【天 候】
【山 名】継鹿尾山(273m)
【山 域】愛知(犬山)
【ルート】 (11:30)自宅==(14:30)犬山城--(15:30)如庵(16:00)--(17:00)継鹿尾山--(17:30)犬山城
【所要時間】1時間30分
【メンバー 】二人



日本最古の天守閣の見学と、その後の継鹿尾山に登るつもりで家を出た。もうお昼時である。天守閣を仰ぐ位置に車を止め少し歩き出すと国宝如庵がすぐそばに見えた。私は今まで京都の建仁寺にあるとばかり考えていた。どうしてこんなところにあるのかと思った。しかし、織田有楽斉といえばここにあっても不思議ではない。受付で閉館時間を確かめ、後で寄ることにした。

犬山城の参道には幾つかの神社があり、この城の人気を彷彿させた。城の横には切られた御神木があった。城の中には歴代の城主や歴史的な説明と戦時に使用した具物などが展示されていた。天守閣からは、木曾川を挟んで鵜沼と犬山の街が見渡せた。

城の見学を終え、如庵に向かった。受付の方に約30年前に移築されたことを聞く。そして、如庵・正伝院・書院等は経営の困難さとともに移築に移築を重ね、昭和45年に名古屋鉄道の所有になりこの地に移され、有楽の名に因んで「有楽苑」になった。織田有楽斉については信長の実弟そして関ヶ原の戦いでは、東軍方につき家康側であったこと。大阪城にいて、冬の陣では和平を望んだ一人であったこと。そして江戸に家康から土地をもらった。それが有楽町という名として今も残されているということを知っている。ここで購入した本によると「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする」と茶道観をもち最も寛ぎのある茶室をもとめた,とある。水琴窟を楽しみ、旧正伝院書院にて抹茶をいただき、茶花園を巡る。大虹という名をもつ椿が心に残った。

すっかりついでの山と化したが、継鹿尾山に向かう。犬山城の麓から犬山橋の下を通り木曽川沿いを溯る。氷室という三叉路で信号を渡り、東海自然道に入る。石段の道を登ると、犬山ユースホステルがあった。そこから下りとなり車道になる。下りきったあたりが寂光院である。そこから石段となる。坂の区切り目のところで毘沙門天坂など七福神の名前の石段が続く。登り詰めたところが継鹿尾観音の境内である。

これからがやっと山道らしくなる。やや急な登りもある。途中小さな社もあった。一息で東屋のある山頂に着く。ゴミが目に付く山頂であった。丁度日没となった。犬山遊園の向こうに先ほど訪ねた犬山城が見えた。木曾川が夕日に煌いていた。帰路木曾川沿いから見たライトアップされた犬山城が印象的であった。


妻   記


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