黍生・寧比曽岳・段戸山

【日 時】1999年 3月13日(土)
【天 候】
【山 名】黍生(374m)・寧比曽岳(1121m)・段戸山(1152m)
【山 域】愛知
【ルート】 (9:30)自宅==(11:00)黍生登山口--(11:30)黍生--(12:00)黍生登山口
==(13:00)大多賀峠--(14:00)寧比曽岳--(15:00)大多賀峠
==(16:00)駒の根林道登山口--(17:00)段戸山--(17:30)駒の根林道登山口
==(20:00)自宅
【所要時間】 1時間00分・2時間00分・1時間30分
【メンバー 】単独

天気予報によれば近畿南部は雨で西の方から雨が降り出すとのことであった。北部は午後までもつとのことである。いままで敬遠がちであった愛知の山にでかけることにする。愛知県は濃尾平野が広がり山は東の方に偏在しており、私のところからは時間がかかるという印象が強かった。

国道23号線・1号線を通って知立から155号線に、さらに豊田から153号線に入る。豊田市の通過時間を心配していたが思ったほど時間はかからない。153号線は交通量は多いがスムーズに足助(あすけ)に到着する。白鷺温泉と香嵐渓(こうらんけい)スケートリンクのバス停を見つけるが車を停めるところがない。案内書をじっくり読み直し白鷺温泉まで戻り信号を右折しすぐの医院の横の未舗装の道を10mほど上がる。案内書によればゲートボール場があるとのことだが、今はなく広場になっている。先客が一台いる。同じ脇に車を停め登山開始。

マジックで登山道と書かれた簡単な案内板がずっと山頂まで導いてくれる。左折すると右に田園が広がる。暖かく汗ばむ陽気になった。梅の花が香りを漂わせている。植林帯となる。大石があり水場となっている。林道が横切る。マジックの案内は左になっているが、直登する道も切られており判断に迷う。案内どうり左に行けばしっかりした道があった。道はやや急坂となる。テラス状の岩からの眺望はあまりよくない。山頂には広場になっており、黍生(きびゅう)城の案内板と城跡のものであろうか大きな岩があった。眺望は西に開け猿投山(さなげやま)が望まれる。期待していた足助の里の景色は望めなかった。名前にひかれての登山であったが、イマイチであった。

カタクリで有名な香嵐渓の飯盛山はまたの機会にする。県道33号線に入り大多賀峠を目指す。寧比曽岳(ねびそだけ)は人気のある山のようで道路脇に車が多い。いきなり急な木組みの道を登るとなだらかな杉・桧林となる。下山者が多い。鬱蒼とした植林帯を抜けたあたりにベンチがある。林相も原生林帯となる。山頂に近づくと雪があった。広い山頂には屋根のある休憩所があった。先ほど登った黍生はどうも判別できない。東海自然歩道が続く筈ヶ岳が指呼の間に、対面にこれから向かう段戸山(だんとさん)が望まれる。恵那山と茶臼山が遠くに薄っすらと見えた。この山は二箇所ほどやや急なところはあるが、全体的にはなだらかな山である。下山中、マウンテンバイクの2人とその仲間4人が、ダンゴ三兄弟を歌いながらで登ってくる。途中の歌詞ははっきりしないが「ダンゴ三兄弟」の部分になると大きな声になっていた。

次の段戸山を目指し県道33号線を進むが林道への入り口が判らず宇連まで行ってしまう。引き返し案内書を確認し、ダートの澄川林道に入る。所々、雪が凍った個所がありこの先の運転に不安をおぼえる。澄川橋を渡り裏谷ルートを見るが遅い時間である。最短距離の駒ヶ原林道ルートにする。澄川林道と駒ヶ原林道の分岐点に小屋があった。雪の道を進めると登山道の案内板発見。笹竹の道を暫く進むと、沢沿いの道となる。谷には雪が多い。沢を抜けると急な植林帯となる。登りきると南からの登山道と合流する。ここでは20cmの雪となった。右へ5分ほど行ったところが山頂であった。広い山頂であったが雑木林に囲まれ視界はあまりよくないが、先ほど登った寧比曽岳はハッキリと識別できた。

愛知の山は急峻な山は少ないが連綿とたおやかに連なる山が多い。こういう山にも私は魅力を感じる。今回道を間違って本谷川に沿う県道33号線を宇連まで行ってしまったが、この地域の奥行きの深さを垣間見た。愛知の山はアプローチに時間がかかるという先入観を持っていたが、足助まで1時間ほどで到達できることが分かった。今後この領域にも足を延ばしてみたい。



【足助豆知識】
足助はかつて「尾張・三河・信濃」の三国を結ぶ交通の要衝にあたり、足助氏の累世の所領で、飯盛山はその居城であったと伝えられている。この城を本城とし、臼木ヶ峰城・真弓城・大観音城・城山城・成瀬城・黍生(きびゅう)城が築かれ支城の役割を果たし、これらを総称して足助七城とか足助七屋敷とかいわれていた。




ホームページにもどる