東赤石山

東赤石山頂
東赤石山頂から西を望む

【日 時】1999年 4月 2日(金)
【天 候】
【山 名】東赤石山(1707m)
【山 域】愛媛
【ルート】 (22:00)自宅==(2:30)淡河仮眠==(8:30)新居浜==
(10:00)筏場登山口--(13:30)東赤石--(14:30)赤石小屋--(16:30)筏場登山口==
(16:45)役場==(20:00)西条
【所要時間】 6時間30分
【メンバー 】二人


ここ2年、妻の休暇の関係もあり、この時期に休暇をとって中国地方に出かけていた。四国には4年前の正月、妻が初めて行ったきりであったので、季節を変えて今回出かけることにした。天気予報では雨の予想であったが、瀬戸大橋の与島SAでは晴れていた。新居浜ICで高速を降りる。瀬戸大橋の料金の高さをあらためて思い知る。別子銅山記念館などの案内をみながら県道を進む。九折れの道を登り、トンネルを抜ける。別子ダムを少し進んだところに、別子銅山跡への登山口の案内板があった。銅山越への登山コースもおもしろそうだ。別子山村役場の人に東赤石登山口を尋ねる。「筏場登山口」に着く。道路の傍らで、おばあさんが「つくし」を摘んでいた。妻がおばあさんと何やら話しを、し始めた。

身支度を整え出発する。心配していた雨が降り出した。「豊後」という所で「瀬場」からの道と出会う。あまりハッキリした場所でない。暫く平坦な道を行くと下方に「八間滝」が望まれる。滝を高捲く道を進み植林帯が現れたところで一服する。雨も本格的になりだしたので雨具を着用する。川を渡った所が分岐点で指標がある。分県登山ガイドの本に紹介のあった右の道を選ぶ。夜行軍で足が進まない。谷と出会うところで一服する。

自然林の中の急登を喘ぎ(あえぎ)ながら登る。本には展望がよいとあるが、雨のため視界はきかない。やっとのことで捲き道に出会う。左折し「赤石山荘」の方面に向かう。「赤石越」と「赤石山荘」への分岐になる。視界が開けるがここから急登となる。登りきった所が「赤石越」で北側には残雪があった。山頂はもう少しである。突然南側の視界が開け、振り返ると赤褐色の岩峰が聳えていた。「橄欖岩(かんらんがん)」の「八巻山(はちまきやま)」の出現である。

突然の晴れ間となり山頂へ急ぐ。足元には雪も現れる。風が強く、稜線を境に南は晴れているが、北は雲に覆われている。瀬戸内海は見えなかったが、西に「西赤石」が遠くに望まれた。南方には「笹ヶ峰」から続く「冠山」・「平家平」・「三つ森山」などが望まれる。時々稜線の北側の雲が覆い被さってくる。南側は岩場になっていた。登ってきたルートを見るとこの山のボリュームを思い知らされる。写真をとり風よけのため岩場の影で食事をとる。

ピストンも考えたが距離も同じ程度なので帰路は「赤石山荘」からのルートにした。山荘までは平坦な道だが意外と長く感じられた。屋根の赤い「赤石山荘」に着く。収容100人との案内。雲の間から「八巻山」の岩峰群が眼にとまる。「別子銅山」に関することを聞くため、5時までに役場に行きたいという妻の希望もあり帰路を急ぐ。疲れていたせいもあるが、谷沿いの下りは行けども行けども目的地に着かない長い道のりであった。分岐で一服する。止んでいた雨がまた降り出す。5時前に役場に着き、「別子銅山」の資料をゲットすることができた。

ウィークディで登山者には会わなかった。本日は完全な雨のつもりでいたが、私達が山頂に居た時のみ晴れ間が得られた。まさにジャストインタイムであった。久しぶりの大きな山行であった。

帰りに「マイントピア別子」に立ち寄る。ここは、「別子銅山採鉱本部」があったところである。鉱山観光施設とのことだが、温泉があり典型的な町興し施設である。施設の前に背負子を担いだ「仲持(なかもち)さん」の銅像があった。仲持さんとは鉱石などを運ぶ人のことである。木曾節の「仲乗(なかのり)さん」も同じような労働をしていたのであろうか?



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