土倉岳


【日 時】1999年5月15日(土)
【天 候】曇り
【山 名】土倉岳(1049m)
【山 域】滋賀
【ルート】 (12:30)自宅==(14:30)茨川道分岐(15:00)--(15:30)茨川・白船峠分岐--
(16:15)土倉岳--(17:00)御池の南東の笹原帯(17:20)--(18:00)土倉岳
--(19:30)茨川道分岐==(21:30)自宅
【所要時間】5時間00分
【メンバー 】単独


天気予報では北の方は雨模様ということで計画していた山行は断念し近場の三月に行けなかった土倉岳を目指す。午後からの出発ということで、途中石榑峠では、既に下山している人が寛いでいる。道路脇にはタニウツギやレンゲツツジが咲き、もう六月の装いである。国道421号線から政所に入り、気になっていた道路工事の案内があり「本日通行可能」と看板があった。以前は、君ヶ畑へ向かう途中の蛭谷で道路工事のため通行止めになっていた。道路工事は3月〜6月までの案内板があり、本日はたまたま「通行可能」であったのかも知れない(今後この方面に向かわれる方はご注意を!)。

君ヶ畑を抜け舗装道路を暫く進むと茨川の案内あり。ここからダートとなり川沿いを辿る。途中、釣り人が一人いた以外は人は入っていないようだ。茨川への分岐から林道をそのまま進む。林道はガケの崩壊が進み、荒れている。暫く進むと道路も崩れ車では進めない。登山靴を掃いて林道終点手前の谷に降りるが、地図の道はない。茨川への分岐へ戻る。(私の持っている昭文社のエリアマップは1994年発行のもので、本屋で最近発行されたものを見ると、この池の谷出会へのルートは記載されていなかった)

橋を渡ってすぐに小屋あり。杉桧林の中の谷を詰める。水が細くなった所で一本立てる。茨川と巡視路の分岐。茨川方面もまだ未踏の地域である。尾根沿いの送電線巡視路となる。電光を切るようになるが、斜度のない楽な道である。登りきった所に鉄塔あり。三月に登った日本コバがこの山行中ずっと望まれた。鉄塔の下を抜け右に折れる。なだらかな尾根道となり、次の鉄塔を過ぎると送電線路から離れた道となる。前方に御池の一角が軍艦のように現れる。山を大きく左に捲きひと登りした所が、白船峠・御池の分岐である。

御池への道に入ると自然林となり、足元にはイワカガミの群生があり、緑の若葉のなかにレンゲツツジがあざやかである。土倉岳の前までは快適な歩行が続く。土倉岳周辺は手強い笹薮に囲まれていた。土倉岳は三角点があるのみでそれを示すプレートなどは何もなかった。

ここからは明白な踏み後はない。いままで多くの人が付けていった赤布やテープの類が乱雑にあった。赤布やテープを頼りに歩を進める。鞍部付近で不要な荷物をデポ。鞍部までは右寄り、登りは手強い笹薮を避けて左寄りのコースをとれば良さそうであった。薄っすらとした踏み跡の急登となる。山頂近くにはコバイケイソウも現れる。御池の山頂の北部もコバイケイソウがあった。登り詰めた所は御池の南東に広がる平坦な笹原帯の一角であった。登り詰めた所からそのまま笹原に突っ込んだが、密度の濃い猛烈な笹薮ですぐに引き返した。良く見ると笹原帯を右に捲くように踏み跡があった。暫く進むと笹原の向こうに御池の頂を確認した。時間も17時をまわっていたのでここで引き返すことにした。

帰路は日没前までに茨川分岐まで着くことを目処にした。土倉岳手前で別の尾根に降りていることに気付き引き返す。デポした地点が分からず探索。すこし雨がぱらつく。日没(18:45)。二つめの鉄塔からの道を真っ直ぐにすすみ、また鉄塔が現れる。行きには見なかったと思いながらもそのまま進む。踏み跡の荒れた急坂となり道を間違えたことに気付く。鉄塔にもどり、来たときの道を確認する。霧が出始める。ヘッドランプオン。無事車の所に返る。帰路、石榑峠あたりは濃い霧になっていた。

赤布や巡視路が錯綜し明るいうちでも、帰りは選択肢が増え注意する必要があると肝に命じていたが、何度か道を失ってしまった。道を失った時の鉄則は労を厭わず元の道に返ることである。予想通り登山者はなかった。冬場にまた訪れてみたい。



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