雷倉

雷倉山頂
雷倉山頂

【日 時】1999年10月30日(土)
【天 候】晴れ
【山 名】雷倉(1168m)
【山 域】岐阜
【ルート】 (10:00)自宅==(12:10)八谷登山口--(14:10)林道出会い--(15:30)雷倉山頂--
(14:20)林道出会い--(17:20)八谷登山口==(19:00)自宅
【所要時間】5時間10分
【メンバー 】単独

雷倉は5月8日、昼から挑戦したが「敗退」してしまった。5月8日の記録がないのは、あまりにも情けない結果に終わったからで、本日はその雪辱戦である。「かみなりくら」あるいは「らいくら」と呼ばれ、小津3山の一つである。小津3山とは小津権現山・花房山とこの雷倉からなる。「薄墨桜」で有名な岐阜県根尾村の西に位置する。

長良川の堤防沿いの道から、21/156号線に入り、根尾から馬越峠方面への県道に入る。「八谷」の部落に入る橋の手前に駐車する。空家脇に道があり、木の「雷倉登山口」の標識が ある。植林の中の道を抜け、「中又谷」を右に見ながらの用水路沿いの平坦な道になる。踏み跡がうすく草叢になっている。右に折れるポイントから数十メートルのところの側溝に、「イノシシ」のような動物の死骸があった。死後それほど時間を経過していないようであったが、どのような動物か確認する気にもなれずそのまま通過する。

本の案内にある「下津谷」と「中又谷」の出会いにある取っ付きは判りにくい。出会いにも気付かずそのまま進むが、すぐ道が消え失せ、前方に砂防ダムの突堤が現れる。本を読み直し、記述通り、右下に下り「鉄橋」を発見する。20m先の分岐も確認する。緩やかに登り、突堤の対岸に来る。ここからが尾根の急な登りとなる。少し植林帯もあるが概ね自然林の道である。やがて石灰岩の白い岩が現れると、すぐ急な岩場となり踏み跡も薄くなる。岩場帯を抜けると平坦な道となり、ヤレヤレという気になるが今度は薮である。薮の距離が短いので我慢する。林道に出て一服する。林道は私有のものだが崩壊がすすんでいるようだ。ここから山頂方面は綺麗に紅葉している。「能郷白山」や特徴ある「冠山」も望まれる。
山頂の紅葉
山頂の紅葉

林道上のガレを過ぎると再び急坂の薮に突入する。藪は濃いが道は比較的ハッキリしておりテープと踏み跡を確かめながら進む。登り詰めると、山頂の一角の稜線にでる。西側の視界が開け、低い笹原のブナ林となる。高みを目指すが、山頂が判らず、通り過ぎる。そのまま、もう一つの頂稜に達するが山頂らしいものは何もない。振り返って見ると、もと来たほうが高いようで戻る。木の上をみると「雷倉」の標識があった。


写真を撮るが、時間もおそいので帰りを急ぐ。しかし山頂部からの降り口がどうも判らない。テープを追いながら行ったり来たりして、降り口を発見しホッとする。暗くなる前に、薮と岩場帯を通過することを目指す。

急ぎ足で薮に突っ込むが、気付いてみると腕時計が無くなっていた。薮漕ぎに熱中している時に、なくしてしまったようだ。私の腕時計は金属性で押してロックする仕掛けになっている。時間は携帯があるので心配はないが、まさか薮漕ぎで腕時計をなくしてしまうとは思いもしなかった。下りの薮漕ぎは登りほど苦にならない。16時20分に林道と出会い、先が読めるようになった。

登りで長く感じた薮も、下りは勝手が判っているのでアッという間であった。岩場ではテープを見失しなわないよう、注意しながら通過する。石灰岩の露岩帯を抜けると道も明瞭になった。植林帯では暗くなり、踏み跡を見つけにくくなったが、鉄橋のところで一服し、車の所に戻る。つるべ落しの秋の夕暮れとの時間との競争であったが、日没には間に合った。

私にとって小津3山は、どれも難敵であった。小津権現山は距離が長く時間を要した。花房山では暗闇を行動中、眼鏡をなくし、ビバークするはめになった。そして雷倉では腕時計をなくしてしまった。何れの山も、私にとって印象深い山となった。


【携帯電話について】
感度があったのは、林道に出たときのみで、電話は通じなかった。しかも、感度を感知したのは電源を入れた直後で、電話をかけるとその後、感度を感知できなかった。

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