1.論文「中原兼遠」 (2004年「史学義仲」第6号)
義仲の養父中原兼遠と鬼界ケ島に流された平判官康頼は親子だった
2.論文「親子で書いた平家物語」 (2005年「史学義仲」第7号)
徒然草が伝える平家物語の2人の作者とは誰なのか
3.論文「中原兼遠 パート2」 (2006年「史学義仲」第8号)
幼い義仲を養育した兼遠の目的は?
4.論文「藤原貴族と木曽義仲」 (2008年「史学義仲」第10号)
義仲のバックには政権復帰を狙う藤原氏一族がついていた
5.講演「木曽義仲の生涯、その謎の部分に迫る」
(2008年「第19回シニアを楽しむ集い」in大津・義仲寺)
6.講演「木曽義仲と平家小松家」 (2009年木曽義仲史学会第11回総会)
義仲は平家小松家と手を結んだか?
7.論文「平家物語が語らなかった歴史の真実」(2010年「史学義仲」第11号)
深読みで解き明かす平家小松家の謎の行動
8.文献考証「粟津ケ原での義仲最後の戦い」 (2012年「史学義仲」第13号)
義仲最期の地「粟津ヶ原」は何処にあったか
源平合戦の前半で 華々しく登場する木曽義仲。しかし、入京後わずか半年で同族源氏同士の戦いで失意のうちに敗死した。平家物語では、この敗軍の将について、揶揄嘲笑して描いている場面が多々あるが、それは時の権力者を憚って作られた虚像。平家物語を深く読み込むことで義仲の実像が、そしてまた平家物語自体の成立の謎までも見えてくる。
ここは、そんな深読み平家物語のページです。
ご一読の上、メールでご意見、ご感想をお寄せ下さい 西川 早苗
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