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            日常の風景   NO.0055
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自転車屋さん

自転車のペダルを踏むたびに、左側のペダルのあたりから、
コクン、コクンというかすかな、乾いた音がする。
音のする瞬間、左足の裏にも、微妙な刺激が感じられた。

自転車を降りて、ペダルを手で回してみても、何の異常も見られない。
でも、自転車をこぎ出すと、同じ事の繰り返しである。

自転車屋さんにすぐに駆け込まなかったのは、
この自転車が新品で、わたしがネットオークションを通じて、
格安で落札した商品であることと、
いざ適当な自転車屋さんを捜そうとしても、
なかなか見つからないという理由であった。

昔は、自転車屋さんというのは、いたるところにあった。
しかし今は、自転車を販売するショッピングセンタなどは、
すぐに頭に浮かぶが、パンクなどを手軽に修理してもらえる店は、
なじみもないし、見つけるのも簡単ではない。

それでも、3日間我慢して、とうとうある自転車屋さんを見つけた。

店のメインの看板はとうの昔に、剥がれていて、
文字跡だけがかすかに残っていた。
店の前には、どういうわけか、自転車の白いハンドルカバーが、
まるで洗濯物のように吊り下げられていた。

意外に間口は広く、奥から、長いすに座った老夫婦が、
じっとこちらを見ていた。
ふたりで身じろぎもせず、ただひたすらこちらを見つめていた。
まるでシュールな映画のワンカットのようである。

一瞬なかに中に入るのをためらったが、
思い切って、自転車を修理してもらえないかと声を掛けてみた。

意外に軽い足取りで、中から主人がでてきた。
自転車をのフレームを左手でぐいと向こう側に突き出し、
右手でへダルをくるくると回したが、異常がない。

「実際に乗ってもらうと、すぐにわかるのですが」
わたしのことばに、うなづき、道路を一回りすると、
すぐに、コクン、コクンという乾いた音が、規則正しく発生した。

主人は、店に戻ると、クランクにねじ込むようになっている、
ペダルのネジをスパナーできつく閉めなおした。
あら不思議。わたしの自転車のトラブルは、それだけのことで、
一発で解決してしまったのである。

「どうもありがとうございました。お幾らでしょうか?」
わたしのことばは、うれしさで弾んでいた。

「ええよ、これぐらいのこと」
日本の技術者は、自己の技術を過小評価しすぎだと思う。

「いえ、わざわざ時間を取らせましたし」
「ええって」
「いえ、そうはいきませんよ」
「じゃ、100円だけもろとこか」

主人はぶっきらぼうにいった。
わたしはあわてて、小銭入れを取り出し、
「では、これだけ」
と、200円を主人の右手のひらに置いた。

「かえって、すまんかったのう」
主人は、ふたつの百円玉を、両手ですこし持ち上げるようなしぐさをして、
手の中に収めた。

昔の自転車屋さんが、まだ彦根にいた。
トラブルがすっかり解消したペダルを踏むわたしの足は、
まるで、羽毛のように軽く軽く感じられた。



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sceneryの風景

わたしの家の隣が自転車屋さんだったから、
昔から自転車屋さんには親しみを感じる。

高校生だった頃、その隣の自転車屋さんに
ときどきアルバイトに行っていた。
パンクの修理はもちろん、分解掃除なども、
当時は得意だったのである。

自転車屋さんはどの街にも、いたるところにあり、
町内の井戸端会議場のような役割も兼ねていた。
当時はそこでずいぶんいろいろな耳学問をさせてもらった。

でも、いつの間にか、街から、自転車屋さんが消えている。
そのような情況をつくったのは、安ければいいという消費者である、私達である。
昔でさえ何万円もした自転車は、
今は、1万円も出せばおつりがくる。

それでいて、昔の自転車屋さんを懐かしんでいるのである。
どうしようもない。



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