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            日常の風景   NO.0101
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枯葉のかざぐるま

数枚の落ち葉が遊歩道をくすぐるように、乾いた音をたてて、
わたしの足元から、数メートル先をころがってゆく。

そのなかに、印象的な一葉があった。
所々ちいさな虫食い痕があるが、先端が真っ赤に紅葉していて、
なかほどからあざやかな、黄色に変色している。

追いついて、手に取ろうとした途端、また、ころがっていった。

今朝は、西風がかなり強く吹いている。
出勤を急ぐいそぐわたしにとっては、強い風だが、不快な風ではない。
どちらかといえば、疲れたわたしの背中を押してくれる、
なかまの風のようにも感じられた。

いつもとちがう、風の風景も、動的で悪くない。
お堀の水面は常に波立ち、
桜も、柳も、揺れつづけ、そのかたちを変化し続けている。

そんな風の朝、いちばん印象的だったのが、
空中で、くるくるとまわり続ける枯葉だった。

桜の枝から、1本のクモの糸がたなびいている。
その先に、枯れ葉がからまって、まるで風見鶏のかざぐるまのように、
くるくるくるくると同じ場所でまわり続けていた。

時間があれば、ゆっくり観察するところだが、
今朝はいつもより出勤が遅れている。
一瞬だけ立ち止まって、見つめただけなので、
かえって、その残像が、いつまでもあたまのなかに残った。

たった一本の細いクモの糸に過ぎないのに、
なぜあのような巨大な枯葉をとらえて、切れないのだろうか。
無限の回転が与えられ、よじれて切れてしまうのがふつうなのではないだろうか。

一本の糸に見えたが、間違っていたのかもしれない。
もしかすれば、大きなクモの巣全体が、よじれて細くなったのだろうか。
それならば、風が吹いて、枯れ葉が、まわればまわるほど、糸は強くなってゆくはずである。

そんな妄想をあたまのなかで、脹らませながら歩いていると、
会社に着くまでに「クモ助のはなし」という寓話の輪郭がぼんやりと浮かんできた。
多分、つまらない思いつきだとは知りつつも、
その瞬間は、うきうきとしたメルヘン気分で、会社に到着した。



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sceneryの風景

この間、電車に乗るのに、本を忘れたので、
駅のキオスクで文庫本を買った。
司馬遼太郎の「以下、無用のことながら」という新刊である。
司馬さんが、新聞や雑誌などに書いていた、短いエッセイ集である。

そのなかの「心のための機関」という1ページに満たないごく短いエッセイが印象に残った。
要約すると、生涯みがかれるべき大人の属性は、
経験と知識と判断力と調和の感覚、それに責任感。

だが、子供に備わっている、想像力、空想力、さらにはそれを基礎として創造力への間断なき衝動など、
これらのものは、大人になると電池が減るように、減ってゆく。

大人になっても、この、三つのみずみずしい心をもちつづけている、ごく少数のひとびとは、
干魚のような大人たちより、百倍も日常をゆたかに送れる幸せをもっている。

誤解されると困るのですが、
わたしが、そのような大人だと自慢しているわけでは決してありません。
ひといちばい、電池が減るように、減ってゆくという悲哀を味わっている方なのです。

しかし、常々、そのような大人にあこがれているわたしにとって、
司馬さんのことばはこころに染みました。

ところで「クモ助のはなし」ですが、そのうち、
きちんとかたちになれば、わたしのHPの「コント・童話」に
アップしようと考えています。

ですが、ここでこのメルマガを終わらせれば、なんやねん。
気を持たせて、ということになりますよね。
「クモ助のはなし」思いつきだけですが聞いてください。

クモ助は、生まれてすぐに、おおきな桜の若葉の裏に、
巣を作って住んでいました。

クモ助はとても、臆病な性格でしたが、
葉っぱさんが、雲助を守ってくれました。

すずめやつばめのえさにならないように、身を隠してくれ、
雨や、強い風からも守ってくれました。
おなかがすいて、飢え死にしそうなときには、
そっと樹液を口に含ませてくれました。
ときには、話し相手にもなってくれたのです。

クモ助はだんだんと、たくましい青年に成長してゆきました。
もう、葉っぱさんの助けは必要なくなったのです。

体も大きくなり、尻からは強い糸が吐き出せ、
立派な蜘蛛の巣もつくれるようになりました。

そうして、秋が来ます。

やさしい葉っぱさんに、かってのようなかがやきはありません。
もうすぐ、枝から離れて散ってゆく運命なのです。
でも、葉っぱさんは悲しくはありませんでした。
季節によって、いのちが受け継がれてゆくということをよく知っていたのです。
来年の春には、次のいのちが芽吹いてくるということをよく知っていたのです。

ですが、クモ助は、あんなにたいせつにしてもらった葉っぱさんが、
醜く縮み、枯れかけて、変色してゆく様子をみて、
バカにしてからかうのです。

葉っぱさんはそのことがとても悲しかったのでした。

いよいよ、枝から離れる時期が近づいてきた葉っぱさんは、
風さんにあることを相談しました。

いよいよ、風さんと示し合わせた、葉っぱさんの旅立ちです。
風さんは、やさしく、葉っぱさんを吹き落とし、
ひらひらと、クモ助の大きな巣に落としました。

巣が揺れたので、クモ助は獲物だと思って、
喜んで、外に出ますと、そこには葉っぱさんが絡んでいました。

クモ助は、口汚く、激しく毒づきます。

そしてクモ助が、葉っぱさんをお堀の水に落とそうとした途端、
風さんが、枯れて丸く縮んだ、葉っぱさんに強く風を送ったのです。

葉っぱさんは、風をうけてその場でまわり始めました。
くるくる、くるくる。
クモ助の糸をからめて、葉っぱさんは回り続けました。

クモ助は自分の巣が葉っぱさんと風さんに壊されてゆくのをただ見ているより
仕方がなかったのです。

くるくる、くるくる。葉っぱさんは、来春の芽吹きを信じて、
歓喜の踊りを踊っているように見えました。

おわり。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
お粗末さまでした。


実はこのメルマガ、一週間以上も前に書いたものです。
仕上げた頃に、新潟地震が発生して、
気分的にも、こんな能天気なものは発行できないと、
しばらく、そのままにしておきました。

そして、今日あらためて、この寓話を読み返してしてみますと、
これは単なる、クモ助に対する、葉っぱさんの
復しゅう劇に過ぎないのに気がつきました。

最後、クモ助をどうすればいいのでしょうね。
なにかいい案がありましたら、ぜひメールをください。



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