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            日常の風景   NO.0122
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高原の風

4人乗りのゴンドラは、まるで蒸し風呂のように暑かった。
隣に座っている1歳とちょっとになる、颯(そう、孫の名前)は、
ゴンドラが上昇を始めると、火がついたように泣き出した。

「よしよし、怖くないで」
わたしは、颯をぎゅっときつく抱き寄せた。
耳元で、まだ孫は泣き続けていたが、赤ん坊特有の、すべすべした肌の感触。
母の愛をいっぱいにしみこませた、生命力にあふれる甘い芳香が、
しあわせな気分にしてくれた。

今から3時間ほど前に、
「親父、ドライブに行こう」と、
隣に住んでいる息子から電話がかかってきた。

「うーん」と返事を渋っていると、
「親父、給料日前でお金が全然ないんや、親父さえ連れて行ったら、
そこらあたりの心配はのうなるやろ」
あけすけに乱暴な口をきいている息子だが、
最近わたしに何となく元気がないのを気にしての誘いだということがよくわかった。

こうして、息子夫婦と颯、そしてわたしの4人で、
近場をドライブすることになったのである。
滋賀県の名峰伊吹山(標高1,377m)
その気になれば、彦根から、山のふもとまで、くるまで30分ほどの距離でしかない。

すこしゴンドラに慣れたのか、颯はすぐに泣き止んだ。
しかし、必死にわたしにしがみついてくる様子から、
颯の不安な気分が伝わってきた。

くるまでの移動には慣れているが、はじめて乗るゴンドラでの移動は、
まるで空に飛び出すような景色の流れなのかもしれない。

不安といえば、みんなそれぞれに不安なのだ。
ただ大人は、幼児のように、その不安を表現する手段を忘れてしまっている。
泣き叫ぶこともできないし、しがみつく相手もいない。
ただ心の中に漠然とした不安をかかえたまま、立ち尽くしているだけ。

3合目にある、伊吹高原ホテルの横手にゴンドラが到着した。
ゴンドラから降りると、ひんやりとした高原の風が爽やかに吹き抜けた。

「うーん、涼しい。いい気分や」
思わずつぶやいたわたしに、
「ゴンドラのなかをサウナのようにしておくのも、会社の作戦かもしれへんで、
ゴンドラから降りられただけで、誰でもいい気分や」
剽軽な息子の物言いに、みんな声を上げて笑った。

若い頃は毎年のようにスキーを楽しんでいたこの場所。
伊吹山の3合目に立つのは、ほぼ30年振りのことになる。

抜けるような青空を背景に、目の前に伊吹の霊峰がそびえている。
うねうねと蛇行している登山道が、陽光をあびて山の中腹で錦糸のようにひかっている。
3合目のお花畑は、色とりどりの高山植物があふれていた。

颯はにこにこして、花の咲き乱れる高原の緑のなかを、
おぼつかない足取りでぴょこぴょこと走りまわっている。

わたしは青年がよくする、両手をいっぱいに広げる大仰なジェスチャーをして
思い切り深呼吸をした。
高原の新鮮な空気で、肺がいっぱいに満たされるのが嬉しかった。



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sceneryの風景

ご無沙汰しております。
久しぶりの日常の風景です。
文学の仲間や、親しい友人なら、わたしの休筆の理由はよくわかってくれていますが、
結果的には、なんの前触れもなく休筆したようなかたちになり、
どうもすみませんでした。

悲しみや不安というのは、
それ自体が、強力な磁場をもっているような気がします。
悲しみが、また次の悲しみを引き寄せてくるのです。

でも、悲しみや不安のない人生なんて考えられませんよね。
たまたま、わたしはこのようなささやかな表現の手段をもっているというだけの違いで、
みんなそれぞれ心の中に抱えているのだと思います。

身近な人の突然の、理不尽な死という現実に、
ある程度の年輪を重ねたら、一度や二度はぶち当たるのではないでしょうか。

時間が必要であり、また時間が解決してくれるというのも、
よくわかっているのです。

一番の特効薬は、わたしの場合はよく冷えたビールでした。
この薬はよく利く上に、魅力的なものでした。
ずいぶんとお世話になって、ほんとうに助かりました。

この2ヶ月間、
ケーブルテレビの映画を毎日1本は観ていました。
それも、徹底的なエンターテイメント専門。
ほとんどがハリウッド映画専門でした。
昔見た映画も構わずに見返していました。

小説も読みましたが、生と死を扱ったようなシリアスなものは避け、
藤沢周平とか池波正太郎、山本周五郎、山手樹一郎など、
娯楽主体の時代小説ばかりです。

たまに、夢枕漠のサイコダイバーシリーズなども楽しみました。

一時のショック状態を考えれば、最近はかなり回復したと思います。



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