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            日常の風景   NO.0138
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将棋を指す

(137号のつづき)

囲碁も将棋も嫌いではない。いや、大好きである。
でも、ほとんど対局することはない。

なぜか? 理由は簡単で、プレイすれば負けるからである。
やさしい定跡の心得は、囲碁も将棋もある程度はある。
でも、定跡を全く知らないとんでもない下手とあたるとき、
わたしの方が、相手以上に混乱して負ける。

もちろん、定跡をきちんと理解している上手とあたると、
当然負けるのである。
いずれにしろ負けるから、滅多に勝負はしない。

でも、唯一の例外が、なじみの店での対局である、
勝負する相手がどうしても見つからないとき、
たまにわたしに声がかかることがある。

そんなとき、時間があって、気が向くと、
カウンターの通路にあって、窓枠にへばりついているような、
テーブルに座ることもある。
テーブルの甲板は手作りの将棋盤そのものなのである。

黄土色のハンチングをかぶり、二重になったあごに、
頭をちょこんと載せた感じのエムさんは、わたしを誘うと、
ニコニコ笑いながら、もう将棋の駒を手にして待っている。

将棋の腕前は自称2段とか3段とかいう噂で、
とてもわたしが太刀打ちできる相手ではないが、
エムさんは、誰とでも将棋さえ指せればそれだけで幸せそうなのである。
若く見えて、もう70に近い年とはとても思えない。

わたしは、カウンターから、自分のビールのコップと、
お新香の小皿を窓枠の桟の上に移動させた。

このお新香は、なじみの客が家で漬かったものを、持ってきてくれた漬物で、
女将さんが、その場で切って、みんなに振舞ってくれた。
いわば、無料のつまみである。
甘くて、香ばしくて、塩気と酢味がほどよく利いていて、
噛み砕くときの弾力がポリポリと歯茎にここちよい。

ビールを飲みながら、エムさんとわたしの対局が始まった。
「エムさん、その手は定跡にはないやろ、ここでへこんだら、
なんのために、桂馬を跳ねたのか、意味がのうなるわな・・・
勝ち負けはともかく、ここは絶対に銀をでるべきやろな」
指す手に自信のないわたしは、店のみんなの気を引くように独り言をいう。

「あっ、ちょっと待った。その銀でたら、角筋にぶち当たってるやないか
いったん歩をたたいて、それからや」
カウンター椅子に座り、身をよじるようにして観戦していた、
別の客からすかさず、声がかかる。
こうして、店のなじみ客を巻き込みながら、
誰が対局しているのか、わけのわからない勝負がにぎやかに進行してゆく。

温泉につかるとか、海外旅行するとかを除いて、
なじみの店ですごす時間は、平凡な日常生活における
至福のひとときであることは間違いがない。

だが人生「好事魔多し」「一寸先は闇」のたとえのごとく、
この至福の帰り道、とんでもないアクシデントが待ち受けていた。

(つづく)



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sceneryの風景

この号で、事故の顛末を書くつもりで、
当日を思い出しつつ、筆を進めていたのですが、
すみません、また「つづき」になってしまいました。

無意識のうちに、いやなことを思い出すのを避けているのかもしれません。
次の号では否応なく、事故にぶつかります。
事故の話、それにつづく病院での日常、あまり楽しい話ではありませんが、
がまんして、しばらく付き合ってください。

それから、遅くなりましたが、いろいろとお見舞いの手紙、葉書、メールなどを
いただいた方、ほんとうにありがとうございました。
それほど落ち込むことなく、力強い励みになりました。
そんなに深刻な怪我ではなく、元気に、のんきに、
リハビリを続けていますので、ご安心ください。



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