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            日常の風景   NO.0141
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こころの雪

病院の消灯は早い。夜の9時半である。
普段の生活なら、12時前か、ともすれば12時を過ぎてから
布団にもぐりこんでいた者にとって、
この、就寝時間の早さにだけはなかなか馴染めなかった。

しばらくは、規則を曲げて、ベッドの壁に取り付けてある蛍光灯を
ともしたまま、本を読み続けていたが、
同室の全員が、次々と電気を消してゆくので、仕方なくわたしも消灯した。

すぐには眠ることができない。
なぜなら明日が手術日なのである。

昼には、手術の担当医と麻酔科の先生が、丁寧すぎるほどの説明に来てくれた。
いわゆる、インフォームドコンセプトというやつである。
昔なら「先生よろしくお願いします」というだけであっただろう。

だが、今は時代が違うのである。
何千例に一例のリスクも、患者には知る権利がある。
それが患者のためなのですよね。
患者の不安をすこしでも軽減するために必要なことなんですよね。

どうしても眠れないから、ベッドを抜け出し、
ディルームと呼ばれる談話室に向かった。
途中、明々と蛍光灯がともされた看護婦詰所を通過する。

夜勤の看護婦がたったひとりで、パソコンのディスプレイを黙って見ていた。
ペタペタというわたしのスリッパの音が、病院の廊下に響き渡る。

昼間は、彦根城や伊吹山、琵琶湖や多景島、竹生島などが
180度見通せる明るいディルームも灯かりが落とされていて暗い。
外は吹雪のようである。
風の迫力あるうなり声が、ビュービューと暗い談話室にまで飛び込んでくる。

外界の騒音はほとんど遮断されているのだが、
近くにある配膳のためのエレベータが、下まで通ってるため、
強い風の音だけは、まるでラジオドラマの擬音のように響いてくる。

手探りで、自動給茶器からお茶を入れ、窓の外を見ながら、お茶を飲む。
吹雪のためか、彦根の夜景はほとんど何も見えない。
見えるものは、病院の前にある交差点で点滅を繰り返す赤信号だけ。
豆球で車体を飾りあげた、ギンギラに輝く派手なトラックが
交差点を横切ってゆくのが見えた。
左肩が重く、鈍痛もするが、なんだかちょっと嬉しくなった。

ディルームから部屋に帰る途中、病院のなかを静かに雪が降っているのに気づいた。
この病院は、8階から3階まで、明かり取りのために吹き抜けになっている。
単純に説明すれば、建物を上から見れば「回」という形になる。
その真ん中の部分が外界になっているのである。

そのため、外は激しい吹雪なのだが、廊下の窓から見える雪は、
風もなく、糸を引くように、すーっと静かに降り続けている。
だれがこの病院を設計したのかは知らない。
でも、患者のほんとうの気分を、病院の建物全部で表現しているように感じられた。



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sceneryの風景

最後に読み返すまで、この文章は、あと3行、以下の文章が続いていました。

思いがけない病気や怪我で入院した患者はもちろん、その家族も気分は吹雪である。
だが、病院のなかは以外にポカポカとあたたかい。
どれだけあたたかく見えても、それぞれの心には冷たい雪が静かに降っているのです。

仲間の作品を批評するときには、気楽にいえるのです。
最後の説明は余分だったねと。
この説明で、作品全部を台無しにしてしまったねと。

文章は書き加えてゆくより、削り取る作業が難しいと実感します。
最後に未練げにこのようなあとがきを書いているのがその証拠です。

ディルームから見る、晴れた日の夜景はとてもきれいでした。
NHKのドラマ「巧妙ヶ辻」によく出てくる長浜も、
細かなホタル火のような灯かりが点滅していて
長浜全体が、まるで琵琶湖に浮かぶ蜃気楼のように見えます。
それはそれは幻想的ですてきな風景でした。

長く続けてきた、怪我から入院のシリーズですが、
今回で最終回にします。
病院生活は暇ですから、いっぱいメモも取ったのですが、
花便りが聞こえてくる昨今なのに、いつまでも吹雪の話でもありませんよね。

次号からは気分を一新して、もっとあかるい、
希望の見える風景を切り取りたいとは思っているのですが・・・



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