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            日常の風景   NO.0149
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ホーチミンのタクシー

旅の楽しみとして訪れたのではない。
折角ベトナムを訪れたのだから、戦争の傷跡もこの目でしっかりと確認はしておこうという
一種の義務感のようなものがあった。

ホーチミンの「戦争証跡博物館」の見学を終えたとき、
あまりにも悲惨で生々しい記録を目のあたりにして、
どうしても生理的なむかつきを押さえることができなかった。

気分なおしに、にぎやかなチョロンに行くことにした。
ホーチミンの中心部から5キロメートルほど離れた、中国人地区である。

タクシーを捜す。ホーチミンでの移動はすべてタクシーということに決めていた。
タクシーの数が圧倒的に多い上、市内ならばほとんどが初乗りの1ドルで行くことができた。
ほんとうは、市民が利用するバスも利用したかったし、
バスターミナル、路線なども調べておいたのだが、
前号で書いたように、道路を横断するのが怖くてはどうしようもない。

タクシーはすぐに見つかった。
大抵の観光名所では、客待ちのタクシーが列をなして待っている。
タクシーは見つかったが、先頭のタクシーには肝心のドライバーがいない。
仲間に大声で注意され、ひとりの若者が頭をかきながら、談笑の輪から抜け出してきた。

無精ひげがうっすらと生え、ぼさっとしたまとまりのない頭をしていた。
30歳ぐらいだろうか、のんびりとした性格らしい。
わたし達に向かって、はにかんだように笑いかける笑顔が以外にかわいい。

わたしがガイドブックのティエンハウ寺(天后宮)の写真を指さすと、
タクシーはすぐに走り出した。
タクシーのメータがちゃんと表示されているかを確認する。

ガイドブックによると、ホーチミンのタクシーの評判は芳しくない。
様々なトラブルのケースが掲載されている。
タクシーに乗れば、まずドライバーを疑うというクセがついてしまった。

ティエンハウ寺の外観は、朱色の派手な柱がすぐに目についた。
屋根の上には、様々の無数の生き物や人間が精密に彫刻されており、
さらには極彩色でごてごてと飾られていた。

タクシーを降り、料金を支払おうとすると、運転手は受け取らない。
ここで待っているという。待ち時間の料金メータもストップするから確認してくれと、
ほとんど単語だけを並べる下手な英語で懸命に説明してくれた。
わたしがやっと理解してうなずくとほっとしたように、その場で煙草に火をつけた。

日本ではあまり見ることができない大きな渦巻き型の線香が、
柱に渡されている針金にぶらぶらとたくさん吊りさがっている。
一度火をつけると、一週間ぐらいは煙を出し続けるらしい。

街中にあるちいさな道教の寺だが、信者は多い。
外国人からすれば、ひとつの観光ポイントにすぎないが、
もうもうと立ち込める渦巻き線香の煙のなかで祈る信者ひとりひとりの姿は真剣そのものであった。

特に朱色の派手な服を身にまとった、それほど若くはない中国女性の姿が目を惹いた。
安産を祈っているのか、子供が授かるように祈っているのかはわからなかったが、
その祈りを訊いている黄金色の仏様は、赤や黄色のきらきらとした衣装を身に纏い、
ここまで派手だと、なんとなくご利益がありそうな気もしてきた。

次に訪れたのが、チョロンのビンタイ市場である。
ビンタイ市場の前は混雑しきっていて、駐車するスペースがなかった。
しかたなく、車の中であわただしく、20分後にここで待ち合わせをするという約束をした。
そして、わたし達を市場の前で降ろすと、タクシーはすぐに走り出した。

タクシーを見送ってから、気がついた。
タクシーの料金を精算していないのである。
なんと、すべてのリスクをタクシードライバーが背負ったことになる。
わたし達にすれば、千円以下のたいした金額ではない。
でも、あの若いドライバーにとって、6ドルとか7ドルとかいう金額は、たいした金額のはずである。

市内でタクシーを利用したときも、1ドルの請求に10ドル札を出して、
釣り銭がなく、大騒ぎになった記憶もある。

多分、日本人のドライバーならこんな馬鹿なことは絶対にしないはずだ。
わたしもうっかりしていたが、見ず知らずの日本人を信頼してくれた、
のんきで若いドライバーの純朴さが心に染みた。

喧騒と混乱の極みにある、ビンタイ市場の前で、5分間遅れて、
約束のタクシーを見つけたとき、心の底からほっとした。
わたし達以上にほっとしていたのは、まぎれもなくタクシードライバーの方だろう。
たぶん太宰治の「走れメロス」のような心境を何度も繰り返していたのかもしれない。



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sceneryの風景

ことばだけで、見ず知らずの外国人をまるごと信じてしまう。
久しぶりに、本来の人間としてのコミュニケーションの原点を見たような気がしました。
このようなことがあって、ベトナムの印象はずいぶんと変わりました。

やはり、ガイドブックを鵜呑みにしての、ステレオタイプ的な解釈はいけません。
当然のことですが、どこの国でもいろいろな人がいるのです。

相対的にベトナム人は、日本人に親切でした。
対日感情も悪くありませんし、食べ物も日本人の口に合います。

ベトナムのビールもわたしにはおいしかったです。
もっとも、世界中でまずいビールというのは、今までに一度飲んだだけです。
どこかの国の黒ビールでした。だからあまり参考にはしないでください

戦争証跡博物館
http://www.downtheroad.org/Asia/Photo/3Vietnam_Pictures/3War_Remnants_Museum.htm

展示されてある、戦車、ヘリコプター、飛行機、爆弾、銃器などは、
凶暴さ、猛々しさが風雨によってすっかりそぎ落とされ、
ただのモノでしかなかった。醜く、さびの吹き出た鉄のかたまりという印象です。

ですが、枯葉剤散布による奇形児のホルマリン漬けを始めとして、
大虐殺の証拠写真、むごい拷問の痕跡、公開処刑の写真などは、つらくて正視できません。

これほどの記録が、過去の過ちとしてしっかり残っているのに、
なぜアメリカはイラク戦争の参考にできなかったのでしょう。
信じられません。人類は愚かです。特にアメリカが愚かです。

そのアメリカに無条件でついてゆく日本も醜悪で愚かです。
いちばん愚かなのが、そんな状況を傍観し、解説するだけで、
何もできないと日々流されている、平均的な日本人であるわたし自身なのかも知れません。



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