*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
日常の風景 NO.0164
*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
芝居を見に行く
お正月は家から外には一歩も出なかった。
食べて、飲んで、観て、喋っての平穏なお正月。
そんなお正月の2日目に、京都の友人から電話がかかってきた。
「急でなんやけど、4日に何か予定ある?」
「今んとこ別に何んにも、何んで?」
「実は京都の南座の招待券が手に入ってん、一緒に行かへんか?」
わたしはその場ですぐに承諾した。
何でもない日常に、変化が期待できる事柄ならすべて大歓迎である。
こんなハプニングがたまにあるから、人生はおもしろい。友人はありがたい。
芝居を見に行くのは何十年かぶりである。
出し物は、前進座が演じる「五重塔」。
幸田露伴原作の「五重塔」は、小説を読んだような読まないような作品だったが、
あらずじは大体知っていた。
五重塔建立の大仕事をめぐる人間模様である。
五重塔は江戸で名うての棟梁、川越の源太(藤川矢之輔)が請け負う事になっていた。
その仕事を「ぜひとも自分に」と、横から割って入るように
朗円上人(中村鶴蔵)に願い出たのは、渡り大工の十兵衛(嵐圭史)だった。
「双眼鏡を持ってこないと、見えへんで」と、
友人には念を押されていたのだが、
招待された席は、期待していた以上のいい席だった。
3階席中央部のいちばん前の席である。
3階席とはいっても、舞台との距離がそれほど離れているわけではない。
役者の顔も認識できる。
かえって、舞台全体を立体的に見渡すことができるおもしろい席だった。
舞台のおもしろさは、なんといってもその臨場感である。
舞台装置、照明、役者、花道、観客、すべてが一体となって
かもしだされる現場の張り詰めたくうき。
このような総合的な芸術としての雰囲気は、
生の舞台でないと決して味わうことができない。
リアリティとはかけ離れた世界でもある。
いってみれば、洗練された約束事にささえられた様式美である。
台詞はおおぎょう。
向かい合って対話する役者は、常に45度の角度で客席に向かっており、
台詞を話す役者以外は、自分の番が来るまでは、
その場でぴたりと時間が止まる。身じろぎもしないのだ。
こんな不自然さが、生の舞台ではうつくしいと感じる。
伝統ある文化のうつくしさでもある。
役者は熟練の演技と台詞のいいまわしで、泣かせどころのつぼを心得ている。
我慢する理由もなかったので、わたしの目から涙が幾筋もこぼれ落ちた。
ふと隣を見ると、友人も泣いている。
全身から悪いものがすっかり流れ出てゆくような、気持ちのいい涙だった。
----------------------------------------------------------------------
sceneryの風景
前の号でもお知らせしましたが、
「日常の風景」のホームページ、リニューアルしましたので、
ぜひご覧ください。
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/
わたしが観た、京都南座の芝居です。
興味がある方は見てください。
http://www.zenshinza.com/stage_guide/2007minamiza/minamiza_index.htm
1月4日の京都南座は、ある団体によって借り切られていました。
その団体とは、日本共産党だったのです。
壇上では、今年の選挙に立候補を予定している党員が、
次々と挨拶をして手を振っていました。
いわば、近畿地区の日本共産党の旗開きのようなものです。
これには本当に驚かされました。
「日本共産党」と「歌舞伎の南座」どのように考えても、ミスマッチのような気がしましたが、
日本共産党もずいぶんと変わってきたのだなという実感を持ちしまた。
もちろんステレオタイプ的な批判もあるでしょうが、
わたしは変化するということは、いいことだと前向きにとらえました。
穏やかだった、正月三ヶ日とはうって変わり、
今日1月7日は全国的に台風並みの低気圧が荒れ狂う天気になりました。
ここ、彦根でも雪が舞い、雷がとどろき、風の音が恐ろしいぐらいの
唸りをたてています。
寒い冬は嫌いです。
ですがわたしには楽しみな計画があります。
1月14日からほぼ1ヵ月間ニュージーランドに行く予定なのです。
ニュージーランドは、日本とは正反対の季節で、夏の真っ盛り。
定年後、このような長期の旅行をするのが夢でした。
冬の日本は、家に居るだけでもかなりの出費です。
電気代、ガス代、水道代、食費など。
旅行にかかる総費用から日本での生活費を差し引くと、
それほどの出費にはならないとの机上計算なのですが、
さて、どのような旅になるのでしょうか。
上記のような理由で、次のメルマガ配信は2月の中ごろ以降になる予定です。
それまで、みなさんお元気で。
以下は付録です。
----------------------------------------------------------------------
アイヒマン実験
大晦日に、テレビの「サンデープロジェクト」という番組で、
アイヒマン実験というのを取り上げていた。
印象に強く残ったので、メモをしておいた。
結論は以下のとおりであった。
「人々のかなりの部分は、
命令が合法的権威から来ていると思っている限り、
行為の内容には関係なく、
良心に制約されず、言われたとおりのことをする」
具体的な実験内容はこうである。
被験者には心理学の実験と称して、
先生役と生徒役に分かれてもらう。
生徒役に問題を出して、不正解なら罰として先生役が生徒役に電圧をかける。
15ボルトから450ボルトまで段階的に電圧をかけてゆくのだが、
450ボルトまで上げると、命にかかわることもあると、
事前に先生役には知らせておく。
実は、生徒役は役者で、実際には電圧はかかっていないのだが、
もちろん、先生役はそのことを知らない。
先生役は、生徒が不正解のたびに、電圧を徐々に上げてゆくのだが、
苦痛の叫びを上げる生徒役を最初は気遣っている。
だが、大切な心理学の実験であるからという権威の説得に応じて
実験を続けてゆくうち、
生徒の苦痛の叫びに、笑みをこぼすようになる。
このような反応はストレス反応と呼ばれるらしい。
実験者40人中14人が笑い出し、
実験者の24人が、命にかかわる450ボルトまで電圧を上げている。
命じられたままに動く人間の弱さ。
他人事ではない。
人間はみんなそんな要素を持っているのだ。
この実験は、ユダヤ人を大量虐殺したナチスのアイヒマンから、
アイヒマン実験と呼ばれている。
人間には「服従の心理」がある。
時代がある限界を越えてしまえば、
ひとりひとりの人間にはそれを食い止めるすべはない。
食い止めるどころかそれに加担さえしていまうのである。
だから、時代がある限界を越えてしまうまでに、
ものが自由に言える時代のうちに、
人間の理性、良心が、正常に働いているときに、
なんとか食い止めなくてはいけないと思う。
----------------------------------------------------------------------
発行者 scenery
north@arion.ocn.ne.jp
HP 日常の風景
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/
----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは、
『めろんぱん』 (マガジンID: 2179) http://www.melonpan.net/
『メルマ』 (マガジンID: 50779) http://www.melma.com/
『まぐまぐ』 (マガジンID: 79888) http://www.mag2.com/
『メルマガ天国』 (マガジンID: 8289) http://melten.com/
『E-Magazine』 (マガジンID: scenery1) http://melten.com/
『カプライト』 (マガジンID: 4327) http://kapu.biglobe.ne.jp/
を利用して発行しています。
----------------------------------------------------------------------
メールマガジンの退会・解除は
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/ からお願いします
----------------------------------------------------------------------