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            日常の風景   NO.0176
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夜の天安門

北京で最後の夜。また天安門広場に来てしまった。
これで3度目である。これには理由がある。

北京のタクシードライバーに英語は通じない。
ステーション、アンダーグランドといった、簡単な英語でさえダメである。
有名な漢字による筆談もあやしい。
地図を見せて説明してもこころもとない。

だが、タクシー料金は安い。
初乗り10元、日本円にして160円ぐらいである。
北京市内なら、20元もあればたいていのところには行ける。

わたしたちは、ドライバーとどうしてもコミュニケーションができないので、
やむなく天安門に目的地を変更したことがあった。
天安門だけは日本語で言っても通じる。
ドライバーは北京語で「ティエンアンメン?」と聞き返すのだが、
ふしぎとわたしたちにも、それが天安門と聞こえるのである。

天安門広場にさえ到着すれば、地下鉄の1号線と2号線が走っているので、
北京郊外にあるホテルにはいつでも帰ることができる。

ライトアップされた天安門。
その前にかがやいている毛沢東の巨大な肖像。
ひかりをあびて、すっくりと中央に建っている、巨大な人民英雄記念碑。
夜の天安門はそれなりの雰囲気を備えた、華やかな観光スポットのひとつである。

中国の伝統芸能である京劇を見た後、最後の散歩にと天安門にやって来た。
華やかな京劇の舞台の余韻がまだ残っていたのかもしれない。

タクシーを降りるとすぐに輪タクのドライバーがわたしたちに声をかけてきた。
輪タクとは、ほろ付きの座席をつけた三輪自転車のことで、
北京ではかなりポピュラーな乗り物のひとつである。

値段を聞くと、ひとり3元だという。
かなり安い。安すぎると思ったが、それでも「ふたりで5元なら」と
冷やかし半分に言ってみると、それでOKだという。
わたしはその場で5元札をドライバーに渡し、これ以上は絶対に支払わないと確認して、
輪タクに乗り込んだ。

乗ってみると輪タクはかなり快適な乗り物である。
ゆっくりとスローテンポで景色が移り変わってゆくのがいい。
早足で歩くのと変わらないぐらいのスピードで進む。

輪タクに乗って、すぐ近くの交差点に差し掛かったときのことである。
わたしたちを乗せたまま、輪タク仲間のドライバーどうしが話し始めた。
そして突然ドライバーが交代したのである。
これはおかしいと思った。
これ以上お金を払うつもりはないということをふたりに説明した。
「ノーマニーOK?」「ノーペイOK?」と何度も確認したがOKだという。

100万人が収容できるという世界一広い天安門広場の周囲を、
輪タクが進む。正陽門のあたりで引き返し、
今度は1万人が収容できるといわれる、人民大会堂まで戻ってきた。
かなりの重労働である。チップとしてあと10元は支払おうと隣の相棒とも相談していた。

ところが、輪タクは突如メインストリートを離れ、人民大会堂の横手の道にハンドルを切った。
大通りではあるが、夜は薄暗く、人通りはあまりない。
不安に感じたわたしたちは、もうここでいいと言って輪タクを降りた。

「ありがとう」とお礼を言って、そのまま別れようとすると、
やはりというか、予定通りというべきか、ドライバーの態度が豹変した。
30元支払えというのである。日本円にして500円ほど。
だがわたしたちは納得のできない理不尽なお金は絶対に支払いたくない。

幸い近くに、ふたりの制服を着たガードマンがいた。
ガードマンを立会いにして、交渉がはじまった。交渉というよりは口論である。
ドライバー仲間がもうひとり応援に駆けつけた。当然支払えという。
状況から見て、危害を加えられる危険はなさそうである。

わたしは英語で、いままでの経緯を、何度もお金は払わないと確認したことを説明する。
ドライバーは中国語で払え、タダ乗りするのかの一点張りである。
相棒は日本語で「あれほど何度も払わないと言ったでしょう、モウッ」と
怖い顔をしてドライバーをにらみつけている。なんとなく頼もしい。

3ヶ国語が入り乱れての国際紛争の解決法は、結局のところやはり妥協である。
わたしは財布から、元々予定していた10元を取り出した。
ドライバーも不承不承、それを受け入れた。

北京で最後の夜。
すごく不愉快な出来事だったが、間違いなく旅というワインに酵母を仕込んだと感じた。
年月が経てば、すべてはまろやかに甘く、飲みやすくて印象的な出来事に醗酵してゆく。



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sceneryの風景

北京の写真です。また見てください。
http://www.geocities.jp/scenery_jp/pekin/pekin.html

旅を続けてきて、今までに何度も苦い経験をしています。
パリで、凱旋門の裏手にある、怪しげなでうらさびれたストリップバーに連れ込まれ、
深夜、裏通りの薄暗い小道を、凱旋門の明かりを目指して、駆けに駆けた若き日の思い出。

航空券を紛失して、バンクーバーの空港のベンチで一夜を明かしたこともあった。

クレジットカードを失くして、失効の手続きをするために、
公衆電話を求めて雨のプラハの町並みをとぼとぼと歩いたこともある。

でも、解決できたトラブルは、年月と共にいい思い出として醗酵してゆくのは確かです。
トラベル イズ トラブル。

ちいさなトラブルは大歓迎なのですが、だからといって、
トラブルを探している訳では決してありません。

今回のことも大失敗でした。
輪タクを冷やかしたことが失敗だったとは思っていません。

最初にドライバーが交代した時点で、毅然として降りてしまうべきでした。
人民大会堂の暗がりに、ハンドルを切られたときも、その場で降りるべきでした。



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