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            日常の風景   NO.0188
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針に糸を通す

託老所「たちばな」の最後のセレモニーは、ユーザーであるお年寄りと、
手助けをするサポータの全員が手をつなぎ、ひとつの輪になって、
森山良子が歌ったフォークソング「今日の日は さようなら」を歌うことだ。

「♪いつまでも 絶えることなく 友達でいよう・・・」
わたしの青春時代にキャンプファイアの火を囲みながら、
みんなで肩を組みこの歌を歌った記憶などがあるので、いつも一抹の感慨を覚えるが、
そのときの風景とは天と地ほどの差がある。当然といえば当然のことだが・・・

輪になった全員を見回してみても、誰がユーザーで、誰がサポーターかは見分けがつかない。
まだ元気な年寄りが、ユーザーであるお年寄りの世話をする。
社会にとってきわめて自然で、健全な状況といえるのかもしれない。

歌が終わると、サポーターがユーザーをくるまでそれぞれの自宅に送り届ける。
託老所にはどうした訳か、近所に住む老人の姿は案外に少ないのである。
外に出ると気温がとても低く、もう冬を予感させる冷たい風が吹いていた。

送り終えて「たちばな」に帰ってくると、
「sceneryさん、針に糸が通せる?」とメンバーの女性がわたしに問うた。
「たぶん大丈夫だと思う」と答えると、すぐに針と糸とが渡された。

3人のスタッフは電気カーペットを3枚座敷の中央にならべ、
継ぎ目の部分を糸で丁寧に縫い合わせている最中だった。

幸いわたしは、今のところ何とかメガネがなくても新聞が読める。
ただし、まわりが明るくなければだめである。
針と糸とを持って、窓側の明るいところに移動した。
子供のころ、祖母にたのまれてよく針の穴に糸を通した。
子供のころ楽々と通せた穴は、今は窓側の明るい場所でもなかなか通らない。

かなりいい線まではゆくのだが、何度つばをつけて指先で糸先を整えても、
見えないような細い繊維が伸びていたり、
糸先がももけていたりで、針の穴と糸先とは完全にランデブーしているはずなのに、
それから先の穴にくぐってゆかないのである。
時間はかかったが、それでも何本かは通して、スタッフに渡した。

もう、針に糸が通せなくなるほど年を取ったことをボヤき、冗談のたねにしながら、
スタッフは床にへばりつくようにして身をかがめ、老人の安全のために、
笑いを振りまきながら、明るい雰囲気で懸命に作業している。

誰か強い指導力のある指揮者がいる訳ではない。
前から計画されていた作業でもない。
外に出て寒さを感じたら、誰かが倉庫から電気カーペットを引きずり出してくる。
電気カーペットが出されたら、安全のために継ぎ目を縫い合わせる。

自然が移り変わるように、ごく自然に季節に合わせて、無理なくものごとが進んでゆく。

作業を続ける、もう若くはないスタッフの丸い背中を見ながら、
ボランティアの報酬とは、このようなスタッフのやさしさに
直接触れられることなのかもしれないとふと感じた。

暗い絶望的な暗澹たる情報であふれている世間。
ところがここは損得勘定のない人間の善意とか良心とか思いやりとか、
もう死語になりつつあることばがなんとなく信じられる場所なのである。

ボランティアとしての報酬はそれだけでもう充分だとあらためて感じた。



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ひとは「自分さえよければそれでよい」というDNAに縛られている哀しい生き物です。
ですが、後づけの学習により、割合に健全な精神が学べる、けなげな生物でもあると思います。

プラスとマエナスの極端な振れ幅に振り回されるのが、
具体的な個体としての人間の自然の姿なのでしょうね。



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