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            日常の風景   NO.0196
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夕陽ヶ浦温泉

滋賀県の今津から、福井県の小浜に抜ける山道を、国道303号線が走っている。
昔はこの山道を若狭街道とか、鯖街道とかいう名称で呼んだ。

その若狭街道を大型の観光バスが、降り積もった雪に車体を
右に左にちいさくスリップさせながら、ゆっくりと巨体をすすめてゆく。
雪はまだ断続的に降り続いていた。

視界が悪く積雪で極端に狭くなった山道の国道を、大型車同士がすれ違うときが、
いちばんスリリングな瞬間である。ほんとうは笑い事ではない、
一歩間違えれば、そのまま谷底に転落ということも考えられないことではない。

なじみの店の女将さんは、肝っ玉母さんのような、ふっくらとした雰囲気があるのに、
タイヤがきしんだ音を立てたり、スリップして、方向がちいさく変化したりするたびに、
「ああ怖、ああ怖」と心底、恐怖で震え上がっていた。
「帰りは電車で帰る」と青白い顔色をして、さかんに訴えてもいた。

今日はわたしが毎木曜日に飲みに行くなじみの店の旅行会なのである。

「一回みんなでカニでも食べに行こまいか」という常連さんの発言が、
なんとなくすぐに具体化してしまった。世間的にはきわめてまれなグループといえるだろう。

京都府の丹後半島にある、夕陽ヶ浦温泉での
「カニカニ食べ尽くし日帰りツアー」に便乗して、バスの最後尾に陣取ったわたしたち11人。
朝から缶ビールと一升瓶をひっさげての宴会で、全員ほぼ出来上がってしまっていた。
もう、矢でも鉄砲でももってこいという心境で、
女将さんひとりを除いて、明るい笑いに包まれている。

しかしながらバスは遅れに遅れ、夕陽ヶ浦温泉の老舗旅館に着いたときは、
もう午後の1時を過ぎ、旅館は大混乱をしていた。
わたしたちのバスだけではなく、他のツアー客のスケジュールも滅茶苦茶になっていたのである。

カニ料理フルコース、カニ刺、焼きガニ、ゆでガニ、カニ鍋などをあわただしく食べ、
すぐに温泉に浸かりに行くが、予定していた旅館の温泉も混雑で使えなかった。
バスに乗り町営の温泉施設に浸かりに行く。
まだ真あたらしい気持ちのいい施設だったので、これはこれでよかったのかもしれない。

特に、寒風に吹き晒されながら浸かる露天風呂がよかった。
幼稚園の運動場ぐらいの広さがあり、湯船が3つあった。
正面にある人工的な滝からは、ボリュームのある水が絶えず流れ落ちている。
湯船のまわりは一面に10センチほどの雪が降り積もっていた。

陶器のまくらがついた浅い湯船に、ゆっくりと寝そべりながら、まわりの景色を楽しむ。
雪は一時的に降り止んでいた。
温泉のぬくみで真っ赤にからだを火照らした酔客のひとりが、
湯船から出ると、処女雪に上にからだを横たえた。
寒そうには見えず、ほんとうに気持ちがよさそうだった。

「こうなると、ちょっと吹雪いて欲しいね」
わたしの横の客が、隣にいる友人と話している。
実はわたしも同じようなことを感じていた。

雪の上で寝ている人も、温泉を楽しんでいるわたしも、
自分さえ安全でここちよい場所にいることが確信できれば、
過酷な落差をもっと楽しみたいというのが、通俗的な庶民感情なのかもしれない。



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もうずいぶん前になるが「なじみの店」という日常の風景を書いたことがある。
もう一度読んでやろうと思われる方は、下記のURLです。
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/sample/05-2/najimi.html

定年退職を迎えるにあたって、いちばん残念に感じたのが、
仕事を終えてから「なじみの店」で飲めなくなるということでした。

なんとかならないものかと考えた末、相棒を同伴さえすれば、
今までどおり飲みに行くのに、何の問題もないということに思い至って、ほぽ2年。

今では、木曜日、わたしが忘れていても、相棒の方が覚えています。
でも、わたしの相棒はまったくお酒は飲めません。
ただ、ぱくぱくとお寿司をつまんでいるだけです。



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