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            日常の風景   NO.0207
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ソフトボールの思い出

木曜日、いつものように相棒といっしょになじみの店に行く。
実は夏バテなのか、相棒の調子があまりすぐれない。
いつも注文する一人前の「握り」も食べられない様子で、
巻きずしを注文していた。

アルコール類がまったく飲めないひとなのに、
この店の雰囲気が好ましいのか、ずいぶんと付き合いがいいことである。

カウンターの横手に置いてある、小さな古いテレビは高校野球を映していた。
名門同士の熱戦で、ノーアウトフルベースの場面である。
6人いたなじみ客の視線は、なんとなくテレビにくぎ付けになった。
「ここはスクイズやで」
「いやあ、ノーアウト満塁のスクイズはないで」
「それでも、一点負けてるのやさかい何が何でも同点にせな」
「スクイズするのなら、ワンナウトとられてからや」
にわかに就任した6人の監督の意見はかまびすしい。

「わしは40過ぎまで野球の公式審判員やった」
とNさんがいいだした。この話は直接Nさんからなんどか聞いたことがある。
「わしは今でも現役の審判員やで」
と、Мさんが言い出した。
Мさんとわたしとは時間帯が違うのか、滅多に店で顔を合わせることがないので、
こんな話を聞かされたのは初めてのことであった。

「野茂英雄がまだノンプロやった時代、わしは球審を務めたこともあるんや」
Mさんは、ストライクのポーズを力強く決めながら、
遠い昔を思い出して、いきいきと当時の様子を語ってくれた。
瞬時に10年は若返ったような雰囲気がただよう。

わたしはほとんどのスポーツが苦手だったから、
スポーツの得意ななかまには手の届かない憧れがあった。
運動会のクラス代表リレーで、
颯爽とゴールを駆け抜けていった、あのひとやあいつ。
いまでもありありと思い出すことができる。

子供会の野球大会で、早い球をぴしぴしと決めていた、わが町のエース。
自由形の泳ぎなら、イルカのように速かった鹿児島出身のE君。
大勢に混じって観客席で応援をするのが常にわたしの役目だった。

こんなわたしも一度だけ、舞台に上がったことがある。
高校時代のことである。全校ソフトボール大会だった。
当時わたしのなかまは、勉強はできなかったが、スポーツが得意なやつが多かった。
隠れて、たばこを吸ったり、麻雀をしたりして、ワルのグループを気取っていた。

わたしたちが確か2年生のときだったと思う。
相手は3年生のチームだった。負かせてやろうとクラス全員が気負っていた。
そしてゲームは後半戦、わたしたちのチームは2、3点勝っていた。
仲間のリーダが、わたしに試合の出ろといった。
いつもさみしそうに応援しているわたしをかわいそうに思ったのだろう。
ポジションはセカンドだった。

真夏の炎天下、わたしはセカンドのポジションに立っただけで、あたまがクラクラとした。
遊びでの草野球なら何度も楽しんだことがあるが、
観客のある試合なんて初めてのことである。
どうか球が飛んできませんようにと祈るばかりだった。

その回のわがチームのピッチャーはかなり打ち込まれたが、
幸いセカンドには飛んでこなかった。
満塁だったと思う。ついに恐れていたことが起こった。
球がセカンドに飛んできたのである。

ポンと上がった、イージーフライでピッチャーが打ち取った球だった。
その球をアガっていたわたしがポロリと落とし、球まで見失ってしまった。
モタモタとまごついているうちに、走者は全員還り、逆転されてしまったのである。

この話にはまだ続きがあるから、わたしはいよいよみじめである。
ライトから仲間が走ってきて、審判になにかクレームをつけた。
わたしには何のことか訳がわからなかったが、両チームがもめだし、
一発触発の緊迫した空気になった。
結局ランナーはすべて元にもどり、ツーアウト満塁からゲームが再開した。
わたしには何のことか訳がわからなかった。
訳が分からないうちに、わたしのミスがすべて帳消しになったようなのである。

あのときに、NさんかМさんが審判員だったら、
素早く、威厳をもって「インフィールドフライ」と判定し、
わたしをピンチから救い出してくれたのかも知れない。



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sceneryの風景

スポーツのヒーローに今でもあこがれはある。
すごい、素晴らしいと、しばしば感嘆させられる。

しかし、わたしたち少年、青年時代のヒーローで
プロになったものは誰もいない。
みんなあの一瞬だけ輝いていたのだ。

それでいいのだと思う。
小さなフィールドで、井の中の蛙で輝く。
それが素晴らしいのだとも思う。

自分が好きで、すこしだけ才能があって、
ちいさなちいさな場所でなかまに認められる。
それがトータルとしての幸せではないかと思うのである。

今日から北京オリンピックであるが、
代表選手は、抜きに出た才能があって、血みどろの努力があって、
現在のポジションを手に入れたわけである。

日の丸を背負って競うということが、
どれほどのプレッシャーになることか。
平凡なわたしには痛々しさの方を強く感じるのである。



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