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            日常の風景   NO.0235
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消えた駒音

「ちょっと、話があるんやけど」
振り返って考えてみると、この切り出し方がまずかったような気がする。

昔からわたしは、この「話がある」という日本語の表現に引っ掛かりを持っていた。
いま現に会話をしている、すなわち話をしている相手に、
「話がある」と切り出した途端に「話」の意味は、
まだ話の内容が不明にもかかわらず、とても重い意味になり、
相手を身構え、緊張させる。

わたし自身の話ではない。
毎水曜日に楽しみに出かけている、囲碁、将棋クラブでたまたま耳にした
隣の席の会話である。

「この間の直弼杯の昼の弁当、長浜からの弁当やったんやで、
おかしいと思うわ、彦根での大会やのに、今まではこんなことはなかったわなあ」

口調はやわらかな、ほんとうの雑談。普通の話。
振り返って考えてみると、
この「今までは」という過去との比較も余分だったような気がする。

直弼杯というのは彦根で行われる「直弼杯将棋大会」のことで、
準全国規模の割合に大きな大会である。
当日はプロ棋士も数人招待され、イベントに加わった。
優勝は、アマチュア棋界ではとても有名な鈴木英春氏だった。

当日はわたしも参加し(もちろん惨敗だったが)弁当も食べた。
あの弁当が、彦根市の隣町である、
長浜からのものであったとはまったく気がつかなかった。

言われてみれば、実にもっともな話である。
彦根市の殿様であった、井伊直弼の名前を記念しての大会である。
しかも、地域振興策で、なんとか地元の経済を活性化しようとして
やっきになっている時期でもある。

聞き役の相手は、将棋クラブの会長で、
直弼杯のときには、実行委員会の責任者として、
ひたいに汗をにじませながら、準備作業に忙殺されておられたのを目にしていた。

「それは、実行委員会の責任ではないで、わしら何にも知らんもん」

振り返って考えてみると、この返事が一番まずかったような気がする。

まず、ほとんどの人が気付かなかったであろう、弁当の作り先。
クレームをつけたような形にはなっているが、責任を問うている訳ではない。
うなずける話だし、
「それは知らんかったなぁ、今度反省会ででも言うとくわ」
ぐらいに、まず最初に共感すれば、なんでもない話であったはずである。

「いや、実行委員会にまったく責任がないわけでもないやろ」

と、このあたりからトーンが高くなり、声も大きくなってゆく。

激昂するふたりの大声に比例して、大勢がやかましいほどに響かせていた、
碁石や、駒の音が急にパタンと途絶えた。



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sceneryの風景

囲碁、将棋クラブは定年退職者のサロンのような場所で、
時間つぶしに毎日顔を出すという人も多い。

このふたりも、実は仲のいい好敵手で、盤を囲んでいるのをよく見かける。
現に激昂したのは、ほんの10秒か20秒ぐらいの時間だけで、
あとは、徐々に大人の会話に落ち着いていった。

たまたま隣の席で、その一部始終を聞いていたのだが、
トラブルというものは、どれだけ仲の良い間柄、
たとえば、夫婦とか友人の間でも、些細なことでエスカレートしてゆくものである。
国同士が戦争に巻き込まれてゆく過程も、よく似た経過であろう。

最近読んだ、誰かのブログに
「棘のある言葉に、棘のある言葉で反応しない」という意味のことが書いてあった。
聞き流す、話題を変える、無視をする、のもひとつの方法だし、
黙って席を立つ。その場から、物理的に居なくなるというのもひとつの方法である。

「棘のある言葉に、棘のある言葉で反応しない」
大切な処世術、外交術のような気がする。



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