*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
            日常の風景   NO.0264
*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*

鎌倉にて

天気予報では台風9号の影響で午後から雨という予想だったのに、
朝、由比ヶ浜海岸沿いのホテルから出発しようとする時刻に、
もう雨が降り出してきた。

江の島電鉄の長谷駅まで、湘南海岸沿いをゆっくりと歩くつもりだったが、
急遽予定を変更して、タクシーを呼んでもらった。

「鎌倉文学館へお願いします」というと、タクシーはすぐに走り出した。
「台風の影響でしょうね、予報よりは早く降ってきました」とわたしが残念そうに言うと、
運転手は「よかったです」とぽつりと言った。

観光客のわたしが、残念がっているのに「よかったです」はないだろうと思ったが、
運転手はわたしの微妙なことばのニュアンス、トーンなどにはお構いなしで、
いかに今年の猛暑がきつかったかを何度も繰り返し、久しぶりの雨を無邪気に喜んでいた。

確かに運転手と同様の気分がわたしにもあった。
カンカン照りの猛暑になれば、鎌倉の観光は命がけになるかもしれない。
そんな状況を想像すれば、雨の方がずっとマシだと思った。

それにしても、今年の猛暑はひどかった。
夏休みになれば、とりあえず青春18切符を買うという習慣の我が家。
切符さえ手元に置おけば、旅のイメージは湧くようにあふれ、
行く先を迷うようなことはあまりなかったのに、今年はギリギリまでどこにも行く気がせず、
やっとのことで鎌倉に決まったのである。

鎌倉の文学館は、湘南の海が見下ろせる高台の森の中にあった。
天候の所為だろう、昼間なのにうす暗く感じられるほど濃い緑のなかに、
洋風のアールデコ様式と、切妻屋根の和風様式がミックスした建築である。
一目見て歴史的な建造物だということがわかった。

受付でもらったパンフレットを読んで見ると、
加賀百万石藩主だった前田侯爵家の鎌倉別邸だった建物と書いてある。

旅を共にするわたしの相棒と観光する場所で意見が異なることはあまりない。
観光したい場所はほぼ同じなのである。
まず第一が、きわめて通俗的な場所。ふたりとも通俗大好きなのである。
昨日も江の島と、鎌倉の大仏は真っ先に訪ねた。

次に訪れたいところが、地方の美術館や文学館。
特に文学館は規模にかかわらず、どのようなジャンルであれ、
まだ一冊も読んだことのない縁もゆかりもない作家であっても、
なんとなく訪ねてしまう。

苦心して手直しした痕跡の残る作家の生原稿を見るのが好きだし、
作家の手紙や葉書、それに愛用品など陳列してあると、
作品以外に人間としての創作者の一面に直接触れられたような錯覚が楽しいのである。

夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、芥川龍之介、泉鏡花、島崎藤村、大佛次郎等々、
鎌倉ゆかりの文学者はトータルで300人を超えるというのであるから、
その多さに圧倒される。

緑が多く、古刹も数え切れないほどある。
古都としての落ち着いた風情は京都以上のものがあるし、
高台に登れば雄大な海が見える。

そんな環境が文学者の琴線に触れてきたのだろう。
鎌倉の街をぶらりと散策していると、なんとなくわかるような気もするのである。



----------------------------------------------------------------------
sceneryの風景

JRの鎌倉駅近くに鶴岡八幡宮がある。
鶴岡八幡宮へは参詣道が直線で約400メートルほど真っ直ぐ伸びている。
両側には低い石垣が続き、ところどころに石灯篭が配置され、
つつじと桜の並木が真っ直ぐに八幡宮まで続いている。

もちろん、通れるのは歩行者のみである。
人が5人ぐらいは横に並んでも歩ける、立派な参詣道なのである。

ところが、参詣道の両側には、にぎやかなお土産屋さんが
軒を並べている。
お土産屋さんの通りを通って、八幡宮に行くか、
それとも歴史的な由緒がありそうなメインの参詣道を通るか迷うところである。

相棒は迷うことなく、お土産屋さんのにぎやかな通りを歩きだした。
わたしも相棒の後を追いかけながら、せめて写真だけでも撮っておこうと、
参詣道をすこし歩きだした。

ところが、参詣道は途中で降りることができない道だった。
しかたなく、お互いに別の道を歩き出したのである。
でも、歩いている相棒の姿は見えている。

ここを歩いているよという合図をときおり交わしながら、
お互いに好きな道をそれぞれ歩く。
ひょっとすれば、パートナーとはこのスタイルが理想的なのかもしれないとふと思った。



----------------------------------------------------------------------
発行者 scenery
north@arion.ocn.ne.jp
HP 日常の風景
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/

----------------------------------------------------------------------
日常の風景が本になりました。ご覧ください。
http://www.geocities.jp/scenery_jp2/book/book.html

----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは、

『めろんぱん』 (マガジンID: 2179) http://www.melonpan.net/
『メルマ』  (マガジンID: 50779) http://www.melma.com/
『まぐまぐ』 (マガジンID: 79888)   http://www.mag2.com/
『E-Magazine』 (マガジンID: scenery1) http://melten.com/

を利用して発行しています。

----------------------------------------------------------------------
メールマガジンの退会・解除は
http://www6.ocn.ne.jp/~scenery/  からお願いします
----------------------------------------------------------------------