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            日常の風景   NO.0269
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夜の境界線

昼間見たときお堀端沿いに植えられている桜の葉は、まるで紅葉のように赤く色づき、
秋の華やかさを演出していた。

ところが人通りが途絶える夜になると状況は一変する。
夜のお堀端は、昼間と違ってうす気味悪い。
遊歩道と堀端を仕切っている石柱も墓標に見える。

風雅な江戸時代の行燈に見立てた電球が下から照らす柳も
陰影が強すぎて、指先を下に向けた幽霊の手に見えなくもない。

だが自転車に乗り、酒に酔っているわたしは、
そんなことは意にも介さず気分は昂揚している。
気分良く酒に酔えるというのは、間違いなくこの世で味わうことができるプチ天国である。

この間家族の雑談で「天国」のイメージが話題になったことがある。
お花のいっぱい咲いているきれいな野原、暑くもなく寒くもない穏やかな天気。
人々はいい人ばかりで、かぐわしい香りに満ち、うつくしい音楽が静かに奏でられている。

「1日で退屈しきってしまうやろね、もしこのような状態が永遠なら絶望的」
とわたしがいうと、娘が
「朝になって記憶がなくなっていたら?」
と、思いがけないことを言った。
そのとおりである、記憶がなくなる、忘れるということは天国に近づく大切な要因のひとつなのだ。

娘のそばで今年生まれた7ヶ月になる赤ん坊が安心しきって眠っている。
赤ん坊は眠って、泣いて、笑って、
まるで王子様のように家族にかしこずかれ、
ちょっとした笑顔やしぐさで家族全員を幸せにする。

これが天国の時間なのかも知れない。
みんなそんな時期を過ごしたはずなのに、残念ながら記憶としては留まらない。
天国だからこそかもしれない。

プチ天国状態のわたしは遊歩道のお堀から遠い側を意識的に走る。
万一ハンドル操作を誤って、お堀にでも落ちるようなことがあれば、
天国から地獄へまっ逆さまということになるからである。

しかし、安全サイドの遊歩道を走るのは面白くもなんともない。
目にするのは、車道と歩道を隔てている不揃いに刈り込まれた植え込み。
たまに走って来る車のライトなどで、
遊歩道はすべての形容詞が取り払われた、ただの道になってしまう。

わたしは同じ道を夜に何度も歩いたことがある。
もちろん、なじみの店で気分良く酔っての帰り路である。

夜のお堀端でいちばんおもしろいのは、
天国と地獄の境界線。堀端に積まれた石垣の上である。

遊歩道とお堀の間は、低い鎖で仕切られている。
石垣の上に立つには、この鎖をまたがなければならない。
鎖の解釈はふた通りあると思う。当然そのひとつはこれ以上入ってはいけませんだし、
もうひとつは、またぐのなら自分の責任でまたぎなさいである。

常識や法律を少しだけ破って、石垣に立つ。
天国の気分で地獄の深淵を見下ろすのは落差が大きくて感情が動く。

ライトアップされて白く輝いている孤高の彦根城のふもとで、
お堀に映り込こむ街灯のオレンジが千々に砕けて四方に散るのを見るとき、
生まれてはすぐに消えるひとつひとつの光のかけらが、
営々と築き上げてきた人々の営みだったようにも感じられ、歴史の闇や悠久さを実感したりする。

人生でもおもしろいのは陽光をいっぱいに浴びる天国の中央では決してなく、
地獄の一端がのぞける夜の境界線だと思う。



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sceneryの風景

死後に天国とか極楽があるというようなことは、
現代では職業宗教家でも信じてはいないのだろうと思う。
もちろん、それぞれが独自に解釈した天国なり地獄のイメージは説くのだろうけれども。

観念としての天国も、若いころからイメージすることができなかった。
ためしにネットで天国を調べてみたが、聖書には具体的にはあまり書いていないみたい。
仏教の極楽のイメージはかなり具体的に書いてある。

仏土は広々としていて、辺際のない世界である。
どの建物もみな金銀珠玉をちりばめ、宝をもって厳飾されてひかり輝いている。
衣服や食事は人々の意のままに得ることができ、
寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地のよいところである。
つねに心地のよい音楽が流れている。美しい花々が咲き乱れている。
極楽には一切の苦はなく、ただ楽のみがある。

このような世界を想像するだけで、
退屈という猛烈な苦痛に襲われるのは間違いがない。

最近考える天国のイメージは、
天国では永遠に生きるのだから、食事をする必要も着る必要も眠る必要さえないのではないかということである。
人々はいい人ばかりで、争いもなく、記憶も必要ないとすれば、
段々天国の人々のイメージは単純な生命体に似てくる。



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