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            日常の風景   NO.0296
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彦根温泉

「季節が移り変わるというのは有難いことやねぇ」
と、昼下がりの生ビールを楽しみながら前にいる相棒につぶやいてしまった。
あまりに爺くさい言葉に思えて胸の中で思わず苦笑していた。
若い時なら絶対に口には出てこなかった言葉である。

レストランの大きな展望窓からは琵琶湖が一面に青々と広がり、
三月の陽光を浴びた湖面にはひかりがあふれ煌めき躍動している。
季節外れの雪が舞った一昨日の天候からすれば打って変った春の陽気である。

この陽気に誘われるように朝食を終えた後、
「昼飯に彦根温泉に行こうか?」と相棒を誘うと、
「うん」とふたつ返事で即答が返ってきた。

彦根温泉というのはふたりの隠語で簡易保養センターのことである。
彦根にもれっきとした天然温泉があるということを、
実は地元の人でも知らない人がいる。

地下1500メートルまでボーリングを打込み温泉をくみ上げている。
日本全体が火山国なので、これほど深くボーリングをすればどこでも温泉が出ると聞いたことがある。
温泉の成分分析表もきちんと掲げられている正真正銘の天然温泉である。

6階の展望大浴場の浴槽に立つと、
眼下に波打ち際の湖岸線がずっと続いているのがよく見える。
夏には水泳客や鳥人間コンテストでにぎわう広い砂浜があり、松林がずっとそれに平行している。
おそらく防風林として植えられたのだろう。ここらあたりの地名、松原の名前にふさわしい。

遠く松林が途絶える先にはまだ白い雪に覆われた伊吹山の雄姿が構え、
その左側には、豊臣秀吉が開いた長浜の町が琵琶湖に浮かび比良の山脈へと続いてゆく。
伊吹山の右側は鈴鹿山脈の山並みである。

眼下に目を凝らすとかいつぶりの群れがちいさな波の動きにあわせて、
上下している。湖面はとても静かである。
今はだれもいない砂浜を犬を連れた夫婦が散歩している。
絵画のモチーフにしたいようないい風景である。

遊びに来ると、見なれた琵琶湖もいつもとはまったく違う表情を見せてくれる。
つくづくとわが故郷は風光明美ないい場所なんだと感謝する。

一ヶ月ほど前、家人が旅行に行ってひとり家に残されたことがあった。
なんとなく気分が寂しいので高校時代の友人を誘ってここに来た。
雰囲気が気に入ってあれから4回目である。

友人とが2回。相棒とが2回。
入浴だけなら平日600円。
レストランで食事をしても、合計で2000円もあれば充分に温泉気分が楽しめる。

お客は年寄りが多いというより、年寄りばかりであるが、
その中に紛れても何の違和感も感じない年にいつの間にかなってしまった。

大浴場の隣にはもう一つ湯船があって「伊吹山薬草風呂」と書いてある。
ここからもよく見える伊吹山は、古事記や日本書紀にも記述のある、
歴史的な霊山である。

伊吹山の薬草としては「よもぎ」が一番有名だと思う。
薬草風呂に沈められている布袋を強く握ると、布からは淡いもえぎ色のエキスが飛び出し、
高貴な漢方薬のような香りで満たされた。

香りとエキスを浴びただけでなんとなく長生きできるような気がしたが、
それとは裏腹にまぁ、そこそこでいいかいう気もした。



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sceneryの風景

一ヶ月に4回も行くと常連と呼称しても許されると思う。
風呂場や一階のロビーにある喫茶店で見かける顔が、
日を変えても、同じ人に何度も出会うのである。

こんなちいさな経験から乱暴に断定すると、
老後を楽しんでいる人とそうでない人にはかなりの偏りがあるように思える。

もちろん、健康状態とか経済的な理由など、
のっぴきならない事情を抱えている人も多いのだろうが、
一番の理由はそんなことではないような気がする。



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