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            日常の風景   NO.0286
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台風と温泉

電車の窓に大粒の雨がぶつかっては水滴になり、
風圧で横に下に上にと流れる様子がおもしろかった。

わたしたち家族は台風15号が北上しつつある真っ只を、
その台風を迎えに行くようにして、大阪の伏尾温泉を目指している。

今朝の彦根は台風からはまだ遠く、風はほとんど吹いていなかったが、
雨の降り方がただ事ではなかった。
近所の集積場にゴミを出しに行く往復の道中だけで、
着替えが必要になるほどの激しい雨にぐっしょりと濡れてしまった。

厳重な戸締りと台風の備えをしてから我が家を後にしたのだが、
台風の最中の旅が具体的に決まったのが昨日のことだから自分でもおかしい。

「お父さん、明日一緒に温泉に行ってくれない?」
と娘に言われたとき、
「ああ、別にいいよ」
と反射的に答えていた。

家族であれ、友人であれ、グループの仲間であれ、
定年退職後のどんよりとした日常に変化を与えてくれる提案には、
よほどのことがない限り、基本的には「イエス」と答えるのをモットーにしている。

わざわざこんな日にでかける羽目になったのは、
多忙な娘のつれあいの都合である。たまたま台風の日に連休が取れたのである。
この日を逃すと次の機会がいつになるかわからない。

わたしたちを誘ったのは、孫の世話掛りとしてである。
一歳半になる孫の陽(ひなた)は甘えん坊の暴れん坊で母親ひとりでは手に余るのである。
旅に出るとなると大量の荷物も必要になり余計に人手がかかる。

「イエス」と答えてからすぐに台風のことが気になった。
旅行のスケジュールと、台風の進路が見事に一致しているのだ。

でも楽天的というか、能天気というべきか、
だれひとりとして台風だから止めようというものはいなかった。
そんなところがわたしの家族の一番の長所かもしれない。

雪の露天風呂、雨の露天風呂、波の露天風呂、花火の露天風呂など
今までにいろいろと経験したが、
暴風雨の露天風呂というのは未経験だったので、
これを機会にしっかり観察してその様子をここで描写するつもりだった。

伏尾温泉の宿に掛る小さな橋の下は、恐しいほどの勢いで濁流が渦巻いていたが、
期待不安が裏切られたというか、雨も風も音無しなのである。

庭園風呂と宿が自慢するだけあって、見事な日本庭園の中に、
露天風呂はあった。

滝があり、松があり、サルスベリの木が鮮やかな赤い花を咲かせている。
庭園を眺めながらひとりでゆっくりと湯に浸かっていると、
「お客さんどこから来られました?」
と、温泉の温度を測りに来た従業員から声をかけられた。

二言三言世間話をしたあと、
「お客さん、今日は台風で借り切りですよ。ごゆっくり」
と挨拶をして立ち去った。

台風のおかげでこの贅沢な空間が今は貸切り状態なのである。
もっと楽しまなくてはとふと空を見上げると、真っ黒な雲が、ものすごいスピードで移動していた。
空の上は間違いなく台風だったが、地上の温泉はいつも以上にのんびりと穏やかな時が刻まれていた。



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sceneryの風景

計画していた美術館も、記念館も
台風のため臨時休館にしますとの張り紙が貼りだされていた。

どこへも行くところがないので、宿にはチェックインの1時間も前に着いて、
ロビーのソファでしばらく待機していた。

もし予定通り暴風雨になったとしても、覚悟してのことだから、
風変りな温泉旅行としていつまでも忘れられない旅になったことだろうと思う。
東京の方は大変だったみたいだが、大阪は本当に何事もなかった。

想定外ということばが3.11以降はやり言葉のようになっているが、
想定内なら、ダメージも不安も冷静にコントロールできる。
まったく予想もしていなかったようなことが起こったとき、
ひとは実体以上に不安が増幅され、ひどいダメージを被るような気がする。



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