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            日常の風景   NO.0287
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誕生日の一日

誕生日の祝宴が一番ふさわしいのは、幼稚園から小学生までだと思う。
チョコレートで「〜ちゃんおたんじょうびおめでとう」と書かれた
円いケーキを囲んで、一家が揃って団欒をする。笑顔が絶えない。

だが還暦をすぎたような老人の誕生日は微妙である。
典型的な「めでたくもありめでたくもなし」なのである。
祝う方も祝われる方もどこかしら、しらけた気分がただよう。

かといって、家族に完全に無視されるのも寂しいし、
忘れられるのも心穏やかではない。
だから、数年前から自分の誕生日は前日に
「明日は誕生日、明日は誕生日」と騒ぐことにしている。

朝起きたときに「誕生日おめでとう」と声をかけてもらえば
もうそれだけで充分である。
祝宴もプレゼントも必要ではない。

ただ家内と夜に食事に行く約束だけはとりつけた。
誕生日だから、いつもより生ビールを一杯ぐらい余分に飲んでも
許してもらえるだろう。

今まさに家内と外食に出かけようとする寸前に、
隣に住んでいる孫がふたりで「おじいちゃん、誕生日おめでとう」と、
大きなロールケーキを持ってきてくれた。

孫は小学校の一年生の男の子と幼稚園児の女の子である。
漫画のキャラクターがプリントされたかわいいピンクのメモ用紙に、
「おじいちゃんおたんじょう日おめでとう」
「ながいきしてね」
「おじいちゃんだいすき」
などと鉛筆書きのかわいいメッセージが添えられている。

メッセージの下に、目隠しシールのように加工した個所があって、
「おみくじ」と書いてあった。
「へえ、おみくじ。おじいちゃんのこれからを占ってくれるんやな」

まず幼稚園児の優空のおみくじに手を伸ばして、ひとつを引きかけようとすると、
「おじいちゃん、そっちはあかん、こっちこっち」
逆の方を指差した。
シールを取って見ると「あたり」と大きな字で書いてある。

次に小学生の颯のおみくじに手を伸ばす。
こちらは優空よりも一ヶ所多くて、三つの場所が用意してある。
左端のおみくじに手を伸ばして、颯の反応を見てみるとにこにこ笑っている。
シールを取ってみるとこちらも「あたり」である。

この間読み返した村上春樹の小説にこのような一文があった。
「不満があるかないかという観点から人生をみれば、それはまず上出来な人生だった」
わたしも村上春樹の文章を真似て表現すれば、
「当たりか外れかという観点から人生をみれば、わたしの人生はおおむね当たりであった」

まず第一に、伴侶が当たりで、仕事も当たり。それになにより、
日本が若くて元気だった戦後の高度成長と共に生きてきた時代が当たりだった。

孫のプレゼントは心のこもった手づくりのおみくじである。
おみくじは未来も当たりだといっている。

三つとも「あたり」のおみくじを作ってくれた孫。
外れをひきそうになると、おじいちゃん、それは引いたらあかんと止めてくれた孫
そんなやりとりを声を上げて笑いながら見上げている、一歳半の内孫、陽。

三人の孫を見ていると、残りの人生も間違いなく当たりだという勇気が湧いてきた。



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sceneryの風景

本文に引用した村上春樹の小説は「トニー滝谷」という短編である。

「不満があるかないかという観点から人生をみれば、それはまず上出来な人生だった」

なんでもない文章であるが、明快、明晰な彼の文章の秘密の一端が垣間見られる。
まず自分だけの仮説を立てる。
「不満があるかないかという観点から人生をみれば」の部分である。

人生というとてつもなく複雑なものが、仮説のおかげで限定されたシンプルなものに
置き換わってしまっている。
そうすれば、後の説明も限定されるし、力強い結論も導き出せる。

文章が多少長くなってもおなじ仕掛けである。
文学は表面上は何もないように見えるところから、複雑な人生を紡ぎ出すこともできるし、
このように、複雑な人生をシンプルにとらえて、
一刀両断に割り切ってしまうこともできるのである。

説得力のある仮説をいかに立てるかは、作家の才能で、
真似はできるが、創造するのは難しい。



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