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            日常の風景   NO.0335
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信楽温泉

カーナビの到着予定時間は12時をはるかに過ぎている。
「どこかで昼を簡単に済ましてから、温泉に行こか?」
とわたしは助手席の家内に提案した。

出かける前にネットで調べてみると、
信楽温泉はゴルフ場に付属しているホテル内の施設である。
ゴルフのプレイヤーやホテルの宿泊客用に開発した温泉を
日帰り温泉として一般客にも開放しているということらしい。
かなり高級なゴルフコースで、ホテルの格式もなかなかのもの。

家内からの返事はない。しばらく待ったが返事はない。
長年連れ添っているとこの沈黙の意味が互いにすぐに理解できるのがありがたい。
具体的な会話に置きかえると、まぁこんなところである。

「高級ホテルなんかで食事をしたら高こうつくで」
「遊びに来てるんやから、こんなときぐらい少し贅沢しても罰はあたらへんのと違う?」
「まあ、それもそやけど、ところでお金は持ってきてるんやろな」
「そんな心配せんでも、足りるぐらいには持ってきてる」

見かけ上は、わたしの提案は宙に浮いたままで、
新緑がまばゆい山道をくねくねと走り抜けた車は目的のゴルフ場に到着した。
さすが高級なゴルフコース。
門をくぐり抜けてから目的地のホテルに到着するまで車で5分はかかった。
ゴルフとは関係のない道路沿いの芝までキチンと手入れされていて気持ちがいい。

フロントで手続きを済ませ、すぐにレストランに向った。
ゴルフを終えたばかりに見える、5、6人の熟年グループが、
うまそうに生ビールを傾けながらゴルフ談議をしている。

正面に陣取っているそのグループ以外は、2人ずつのカップルが数組いるだけで、
レストランは空いていた。
わたしたちが入ると、ウェイターは窓側の一番いい席に案内してくれた。

天井にまで届いている広い窓から、広大なゴルフ場の緑の芝、
適度に配置されている植林、
ホテルの施設である小高い丘の上にあるコテージなどが一望できる。
窓の外では蝶の群れが飛び交っていた。

メニューを見ると案外と高くない。
多分昼食用の特別なメニューなのであろう。
手書きで「シェフのおすすめ」と書いてある料理を注文することにした。
スープで始まりコーヒーで終わる簡単なフルコースが2000円ぐらいなのである。

わたしは肉料理にパン。家内は魚料理にご飯を注文した。
メイン料理だけではなくデザートにまでウェイターの説明が入るのは、
すこし煩雑に感じられたが、落ち着いたゆったりとした時間が贅沢に過ぎて行く。

喧騒と雑然。あわただしいだけの大衆レストランで昼食を済ませば1000円で済む。
だがわずかもう1000円追加するだけで、
日常とは異次元の空間、クオリティ、満足感が味わえる。

普段の生活は倹約していても、時にはメリハリをつけて楽しもうという姿勢は
まったくもって文句のつけようのないぐらいに正しい生き方だと思う。
わたしは家内とは違って子供の頃は極貧のなかで育ってきたので
この貧乏性からはなかなか飛躍することはできないのだが。



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sceneryの風景

メールマガジンの本文には、暗黙のうちに適度な長さがあると思っている。
短い文章なら問題はないのだが、書き始めるとどうしても長くなる。
今回も家内と信楽温泉に出かけた時の印象を忘れないうちに文章にしておこうと
書き始めたのだが、文章を短くまとめるのには
それなりの苦労があるという舞台裏を紹介したいと思います。

最初に思い浮かんだ書き出しの文章です。
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ずいぶん前の話になるのだが、わたしの家の前の通りにあった
近所のガソリンスタンドが閉鎖された。
それまでは車の給油は、買い物のついでにとか外食のついでにとか
とにかく適当な時期を選んでのついで仕事でほとんど苦にはならなかった。

しかし閉鎖されてからはガソリンを入れるという目的だけに
わざわざ車を走らせる必要がでできた。
わたしにとってこれが思ったよりも面倒な作業なのである。
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でも、こんな調子で「信楽温泉」を書き出せば収拾がつかなくなるということが
長年書いているとすぐにわかる。その場で即没。
次に修正した書き出しは

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昨夜、車のガソリンを満タンにしたので
朝起きた時から気分がよかった。
ガソリンの量を示す計器がエンプティに近いのはわかっていたのだが、
ガソリンを入れる目的だけで車を走らせるのはかなり面倒な仕事なのである。

昨日赤いアラームが表示されたのを見てあわてて給油に行った。
定年退職後はほとんど市内でしか車を走らせる機会がないので、
一度満タンにすれば、一ヶ月以上はガソリンスタンドには用事がない。
たまにということはめんどくさいという立派な理由のひとつになる。

とにかくガソリンは満タン。気分はいい。天気はすっきりとした青空。
自分でも意外だったのだが「どこかへ出かけよか」と
無意識に言葉を発声していた。そばにいた家内に。

「えーっ、どこかって?」
家内はあまり乗り気のなさそうな生返事をした。
「どっか、行きたいとこはないの?、たとえば近江八幡とか、
醒ヶ井とか、高月とかどこでもいいで」
わたしは適当に近場の候補地を出まかせに言った。
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わたしはガソリンを満タンにしたということがドライブに出かける動機になった。
そのことをどうしても書きたかったのだがこれを書くと益々収拾がつかなくなる。
そこで思い切ってすべてを切り捨てて本文になった訳だが。
それでも肝心の信楽温泉のことには全く触れられなかった。

若い頃「今日は時間がないので長い手紙で失礼します」と書れた文筆家の文を
えっ嘘やろと思ったが、今はその気分がよく理解できる。

信楽温泉は贅沢で清潔で光あふれるいい湯でした。特に露天風呂が。



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