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文章スケッチ NO.0048
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ショパンが紡いだ
老夫婦の日常は日中は私は二階の自分の部屋にこもり、
妻はリビングで、それぞれがそれなりに
自分の好きなことをして過ごすことが多い。
私がたまたまリビングに降りたとき、妻はテレビを見ていた。
取りためていたお気に入りの録画から、
ショパンコンクールの詳細を特集した番組だった。
五年に一度、ワルシャワで開かれるあの大舞台。
画面の向こうでは、若い演奏者たちが、
自分の人生のすべてを鍵盤に注ぎ込むようにして弾いている。
個性的な演奏家が自分のショパンを表現しようと懸命なのは、
とても綺麗なショパンの音楽と共に、彼ら彼女らの表情や
激しく鍵盤を叩きながらも繊細な音を引き出す演奏法にも表れている。
私もそのまま一時間余り、妻と一緒に番組を楽しんだ。
どの演奏も、素人の私には甲乙つけがたい。
十七名の審査員は、あの信じられないような演奏のレベルの中から
順位をつけなくてはならないのだから、
それがどれほどの重圧になるのかは想像できる。
審査員の点数により、落ちる者がいて、勝ち上がる者がいる。
ほぼ完成されている芸術に点数をつける。
その暴力的な理不尽さにわたしはいつも戸惑ってしまう。
演奏者のその後の人生は点数によって大きく分かれていく。
普段の私たちの夕食は、黙々と箸を動かすだけの時が多い。
長年連れ添った夫婦というのは、沈黙が不安になることはない。
だがその夜は、わたしの口が自然に動いた。
「今日のショパンコンクール、すごかったね。
あそこに出てくる人って、みんな天才だね」
妻は箸を止め、私の話に耳を傾ける。
絵画や彫刻が好きな彼女は、芸術の話題が嫌いではない。
「芸術って、本当は好きか嫌いかだけの世界なのにね。
それを競わせて順位をつけるなんて、どこかでしっくりこないよね」
「審査員の好みや、運もあるし」
私たちは優勝者よりも、むしろ予選で落ちた不運な演奏者達に
心を寄せて、その悔しさ、理不尽さに共感していた。
ぽつりぽつりと話しているのでその間の沈黙も悪くなかった。
私はふと、こういう何でもない会話を交わした日のことを、
後になって振り返るのかもしれないと思った。
どちらかが大切なものを失ったとき、
今日一日のような平凡なひとときをきっと思い出すのだろう。
ショパンの音と、相棒の声とを。
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sceneryのひとこと
NHKのもう一つのショパンコンクールの特集番組には
十七名の審査員の中のひとりだった日本人が出演していた。
もちろん彼女も私が感じたような矛盾は十分に意識していた。
その上で「ずっとずっと昔から人間は競争が好きだから」
という言葉が印象的だった。説得力があった。
実は私も競争が嫌いではない。特に人が競うのを見るのは好きだ。
順位がつくからこそ、あそこまで弾けるのかもしれない。
もし競わなくていいのなら
あんなふうに命を削るような音は出てこない可能性だってある。
人生って、そういうもの。矛盾に満ちたもの。
落ちる者がいて、勝ち上がる者がいて、
その理不尽さをどこかで納得してしまう自分も不思議な存在。
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発行者 scenery
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