家所城跡


14世紀から16世紀にかけて、この地域を支配した、長野氏の家臣であった家所氏の居城跡です。美里町家所の馬場(ばんば)という地区です。普通の山のように見えますが、頂上は体育館くらいの広さの四角い平地になっています。
家所氏は、1439年に長野氏の一族として、近江国に出陣していることから、その頃にはここに居館を持ち、家所姓を名乗っていたことになります。現在の美里町の家所、穴倉などの地区を、長野本家から与えられていたのでしょう。ただし、長野一族の中での地位は高くなく、本家の主人に次ぐ存在というと芸濃の雲林院氏か津の分部氏でありました(幕府の使者を出迎えるときには、長野の当主と雲林院の2人が対応した、という記録がある)。後の時代では、一族と言うよりは家臣という位置付けになっていったようです。とは言え、この時代に(応仁の乱が勃発した頃)は、長野氏が強力な軍事力を背景に、三重県内各地に出兵していた時期であり、その軍勢の一翼を担っていたことは間違いありません。
家所城は、桂畑の長野城とは異なり、石垣こそ無いものの、平山城(ひらやましろ)に近い形状で、居館として使用されていたようです。周囲には土塁などもありますが、東西南北いずれにも台地が広がり、敵を遮る要塞がありません。このようなことから戦時に城として使えたかどうかは疑問です。近くの辰水神社がある山を、戦時には城として活用するつもりだったのではないでしょうか。
家所城跡の南側の登り口にある案内板です。土塁、井戸跡などの位置が記され、当時の城館の様子を知ることができます。

   
   



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