五百野皇女


五百野皇女は、12代景行天皇の皇女で、斎王として伊勢に派遣された後、任を終えて都に帰る途中に、美里町五百野で病に倒れて亡くなり、この地に埋葬されたことから、皇女の名を取り、この地を五百野と呼ぶようになったという伝承上の人物です。
写真は、国道163号線脇に建つ、五百野皇女御陵(墳墓)の石碑です。皇女の御陵は現在のJA美里支店北にありましたが、ほ場整備のため石碑を現在地に移設したものです(御陵全体を復元したものではありません)。
  (国道163号、五百野バス停から東へ50m)




斎王とは、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、皇族の女性の中から占いで選ばれた女性のことです。任期は天皇が変わるまで、つまり父親である天皇が死ぬか、引退するまで、明和町の斎宮において歴代の天皇の霊に祈りを捧げたのです。さて、斎王が制度化されたのは、五百野皇女(久須姫とも言う)よりもっと後の時代、7世紀末の飛鳥時代でした。
五百野皇女は、「日本書記」などの伝承によれば、第3代の斎王を務めたということですが、実在したかどうかについては確実ではありません。
皇女の陵墓と伝えられた墳墓については、発掘調査も行われたようですが、石室などは確認されたものの、人物を特定できるような副葬品は見つからなかったということです。このようなことから、この御陵についても、この地方にいた豪族の何者かの墳墓(古墳)であったという説が有力です。







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