トンネル

長野峠には3本のトンネルがあります。
明治のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルと私達は呼んでいます。


明治のトンネル

明治の世になり近代化が進むなか、伊賀と伊勢の住民たちは協力し合って峠を切り開こうと計画しました。その計画は更に進みトンネルを掘る事に成り、明治18年(1885)にこのトンネルが完成しました。この初代明治のトンネルは伊賀側と伊勢側の住民がお金を出し合って造ったものです。長さは約216mあります。トンネルの入り口は石を綺麗に細工しアーチ型に積まれており立派な造りになっています。この石は長野宿の近くにある東の城跡付近石切り場から切り出されています。内部はレンガ積みの構造になっています。使われなくなってから、このように放置されたままになっています。また最近になって柵ができ中に入ることができなくなりました。貴重な遺産として後世に長く残したいものです。

昭和のトンネル

昭和14年(1939)、軍事的な必要性と自動車の発達によって古いトンネルより下に2代目のトンネルが掘られました。その位置は、初代の18m下(伊賀側は14m下)となり、延長約300m、幅5,5mとなりました。これが最近まで長野トンネルとして利用されてきたものです。以前は2代目のトンネルの上に初代のトンネルが見えたといいます。現在は、木立や雑草に覆われ往時を偲ぶことはできません。



平成のトンネル

3代目のトンネルは、更に下に掘られ新長野トンネルとして平成20年7月に開通しました(トンネル自体の完成は同年3月)。延長1966m・幅員7m・高さ4.7mあり最新の設備が施されています。これにより峠越えの時間は10分以上短くなったほか、大型車の通行が可能になった事、降雪の影響を受けなくなった事から、平成のトンネルは、津と大阪を結ぶ国道163号の交通に大変役立っています。余談ですが、新長野トンネルを通ると、松尾芭蕉が奥の細道の帰り道に詠んだ「初しぐれ、猿も小蓑を欲しげなり」という句碑がある猿蓑塚の前を通らなくなってしまいます。


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